今年は元旦早々、あまり明るくない予測を書いた。イランのムサビ氏は自分の甥の命を犠牲にしたことで、相当ショックを受けたのであろうか。彼はイランを現体制から解放するために、自分の命をかけたようだ。
彼の意志の堅さは、インターネットを通じて流された、彼の表情にありありと表れている。反体制派の動きに腹立たしさを感じている、体制支持派の人たちの間からは、反体制のリーダーたちはイラン共和国の敵であるだけではなく、イスラムの敵だとまでののしる声が出始めている。
体制支持派の人たちのなかには、「反体制のリーダーたちを裁判にかけ、処刑すべきだ。」とさえ主張する者もいるほどだ。
現段階では、イランの警察幹部はムサビ氏らをはじめとする、反体制派リーダーたちの逮捕は無いと語っているが、情況次第で何とでもなることであろう。警察幹部が反体制派リーダーたちを逮捕しない理由は「反体制派のなかに英雄を作り出したくない。」からなのだ。
イランが国内的な大混乱に向かい、現体制が打倒されるのか、あるいは何事も、国内的には変化が起こらなくとも、外国による軍事攻撃で、体制が潰される可能性も出てきている。つまり、イランの現体制は国内外に、敵を抱えているということだ。
そうした危険な状態に直面している、イランを救えるのはトルコだけであろう。トルコはイランが西側諸国によって非難されているなかで、イランとの間で通常の関係を維持している。
トルコはイランとの関係を維持しながら、徐々にイランを穏健な方向に向けていこう、と考えているのではないか。そして、そのイランの微妙な変化を、アメリカとイスラエルに伝えることによって、現在のイラン危機を、平和裏に解決したい、と考えているのであろう。
トルコの外交が昨年、特に顕著にその能力を発揮し、素晴らしい成果を上げている。既にご報告したように、トルコは多くの周辺諸国との間で、ビザなし交流を実現しているし、アルメニアとも長年にわたった敵対関係に、終止符を打つことに成功している。
その結果、トルコがアルメニアと対立するアゼルバイジャンとの、良好な関係を損なうこともなかった。アゼルバイジャンは当初、トルコとアルメニアとの接近に、難色を示していたが、あとでトルコ・アゼルバイジャン関係に、何の変化もなかったことが、明らかになっている。
つまり、アゼルバイジャンが当初、トルコに対して示した難色は、あくまでも国内向けの、ポーズでしかなかったということであろう。そして、このことは、トルコがいかに緻密な事前の打ち合わせを、アゼルバイジャンとの間で行っていたかを、示すものであろう。
「イスラエルと距離を置き始めたトルコ」というタイトルの記事が、昨年は世界中で、何度となく報道されたが、イスラエルとの関係も、決して悪化しているとは、言えないのではないか。
イスラエルはヨーロッパ諸国の対応こそが、問題だと受け止めていよう。ヨーロッパ諸国のイスラエルに対する対応は、一昨年のガザ戦争を機に、一気に悪化し、反ユダヤ、反セミテイズムの雰囲気さえ広がっている。
ヨーロッパ人の心の底にある、ユダヤ人に対する蔑視の感情が、ここに来て冷たい炎となって、燃え上がり始めていることは、ユダヤ人自身が一番よくわかっていよう。
それに引き換え、トルコの厳しい対応は、あくまでもトルコがイスラエルと、アラブ諸国、イスラエルとイランとの関係を、仲介するためのものだということを、イスラエルは理解しているのであろう。関係悪化が盛んに報じられるなかで、イスラエルの閣僚がトルコを歴訪していたのはそのためであろう。
2010年、トルコの外交が何処まで中東の安定に寄与するか見ものだ。