インターネット時代の罠

2009年12月31日

 アメリカが軍事目的で開発した、インターネットや衛星放送が、今では普通の市民が利用できるようになった。日本でも若者たちは年、賀状の代わりでEメールを利用するようになっている。

 個人でホームページを持つ人も増え、誰もが情報発信者になれる時代になった。そのため、大手の通信社や新聞社、テレビ会社が軒並みに、存在価値を下げてきている。

 そのことは、情報を支配することが、極めて難しくなってきた、ということでもある。誰かがある意図を持って、大手の情報会社(新聞社やテレビ会社など)情報を捏造し流しても、受けてはそれを信用しなくなり、真相究明に動く時代になったのだ。

 結果的に、意図的に作られ流された情報は、たちどころにして見破られ、結果は逆の効果を生むようになった。

たとえば、イランが核兵器の開発を計画しており、しかるべき証拠書類が出てきたという情報を、イスラエルが流したのは、ほんの数日前だったと思うが、今では元CIAのメンバーによって、その情報が捏造されたものだということが、暴露されてしまい、逆にイスラエルは国際社会のなかで、信用されなくなってしまっている。 

こうしたことは、一見、情報伝達の上での、大きな進歩のように思えるのだが、必ずしもそうとは限らない。真相を伝えると主張している情報発信者が、情報を捏造することもあるからだ。あるいは事実を誤認して、これが真実だと伝える場合もあろう。

こうなってくると、何が真相なのかを、情報の受け手たちは迷ってしまう。そして情報の受け手たちは、いつの間にか、自分の想像する真実()に近い情報を、好んで受け入れるようになる。

「あの人は目つきが悪い」「あの人の家族に殺人を犯した人がいる}「だから彼も殺人を犯しうる」「今回の事件では彼が真犯人に決まっている」といった具合に想像が進み、事実として固定化していくのだ。

そして、そこでは一般市民の間で、魔女裁判が繰り広げられ、真相がゆがめられ、嘘がまかり通ってしまい、それが真実として定着してしまうのだ。

大手マスコミはいま、もう一度その存在意義を、問われているのではないか。本来、大手マスコミは一般大衆に対して、真実を伝える役割だったはずだ。その基本に帰れば、大手マスコミにも未来はあるだろう。そうでなければ、マスコミは死に体になり、一般大衆は真実が何かを見失しなうことになろう。

そうした状況下では、賢い人物による、新手の大衆操作が起こりやすくなる、危険が高まろう。新年を迎えるにあたり、国民全てがそのことを、真剣に考えるべきではなかろうか。

 情報は、事実を、ありのままに、客観的に、個人的な想像を入れずに、伝えるべきであろう。その情報を受けた一般大衆は、自分なりにその情報を、咀嚼してみるべきであろう。事実は常識の範囲を超えない場合が、ほとんどだということが、真実に近づく鍵であろう。