フセイン・モンタゼリ師の死と今後のイラン

2009年12月21日

 イランのグランド・アヤトラ(シーア派イスラム学の最高権威)である、フセイン・モンタゼリ師が死亡した。このことは少なからぬ影響を、今後のイラン国内政治に及ぼすものと思われる。

 もちろん、いまの段階で、今後のイランの国内政治の状況について述べるのは、僭越極まりないことであろう。しかし、イランがわが国にとって極めて重要な国であることを考えると、黙ってはいられまい。同様の推測を多くの専門家にも、していただきたいものだと思う。

 イランの宗教都市クムで行われた、フセイン・モンタゼリ師の葬儀では、改革派の人たちと警察との間に、小競り合いがあったと報じられている。あるいは、もっと激しいものであったかもしれない。

 フセイン・モンタゼリ師について私が知ったのは、もう30年以上前のことだ。1970年代に大学の後輩がイランのクムに留学し、フセイン・モンタゼリ師と会う機会に恵まれた。後輩はその後、私に「あの人はすごく立派な人だ。」と激賞していた。

 彼曰く、フセイン・モンタゼリ師は、一留学生にも親切に判りやすく、イスラムを説いてくれたというのだ。しかも、フセイン・モンタゼリ師の立場は、柔軟なものであり、非イスラム社会から来た者にとって、受け入れ易い教えだったと語っていた。

 そのフセイン・モンタゼリ師は、イラン改革派の人たちに対しては、自重することを薦め、段階的に社会を変えていくように、説いていたものと思われる。もちろん、そのフセイン・モンタゼリ師の意見を、改革派の幹部の人たちは、受け入れていたものと思われる。

 しかし、ここに来て状況は一変したのではないか。フセイン・モンタゼリ師の後に、改革派に理解を示してくれる、イスラムの権威ある人物はいまい。ラフサンジャニ師やこの前の大統領選挙に立候補したカロウビ師の意見では、ハメネイ師が十分に尊重するとは思えないからだ。

 その結果、ハメネイ師をいただくアハマド・ネジャド大統領派が、改革派に対してこれまでよりも、もっと強圧的な対応を執ることが予想される。その力による対応に対しては、改革派の若者たちも強硬になるだろう。

 その結果、イラン全土に流血が広がれば、状況は一変するのではないか。もちろん、それを欧米のマスコミが逐一報道するであろう。その次に何が起こるかまでは、予測しないほうがいいのかもしれない。私は預言者ではないのだから。