アラブの新聞を見ていると、最近目立って家庭内暴力が、報じられるようになってきている。
これまでも家庭内暴力はあったのだろうが、戦争や政治ニュースに押されて、あまり取り上げられなかったのかもしれない。あるいは、実際に最近になって増えているのかもしれない。
ガザで子供が父親に暴力を受けていた話が報じられたが、その子供が最終的に死亡したのかいなかまでは、読む気になれなかった。多分、相当暴力が限度を超えていたものと思われる。
レバノンでも同様に、家庭内暴力の話は報じられ、重ねて外国人メイドに対する暴力も、大きな社会問題として、取り上げられている。この問題は外国人が多数犠牲になっていることから、国際問題化しつつあるようだ。
サウジアラビアを始めとする湾岸諸国でも、外国人メイドに対する暴力は、これまで何度も取り上げられてきていたが、それが改善されたというニュースは流れてこない。
そして、家族のなかで起こる殺人、いわゆる名誉の殺人も、最近よく見かけるようになってきた。家族の女性が不埒な行為をしたということで、家族の男性がその女性を殺すというものだ。
トルコへの旅行時、機内サービスの映画のなかに、この名誉の殺人の物語が含まれていた。田舎のかわいい娘が土地の名士によって辱められ、その名士が自分の罪を隠蔽するために、その娘を殺害すべきだと主張し、村の青年を選び刺客として送る。
最終的には娘を不憫に思う刺客に選ばれた青年が、娘の殺害に到らず、逆に村の名士が娘を辱めたことがばれ、村の名士は娘の父親によって殺害される、という筋書きだった。
こうした種々の家庭内暴力は、つまるところ、アラブ世界の後進性に、問題があるのであろう。多くの人たちは、その問題をわかっているのだが、なかなか改善しないようだ。それは、社会全体が同時に、問題の解決に向かわない限り、名誉の殺人も含め、解決できないからだ。
日本にも家庭内暴力が無いわけではないが、やはり痛ましいとしか、表現のしようが無い。日本の一部で設けられている、駆け込み寺のような施設をアラブに造ることはできないのだろうか、と真剣に考えるときがある。
日本からアラブ世界に送るべきものは、必ずしも工業製品ばかりではあるまい。場合によっては、こうした社会救済のノウハウも、送るべきではないのか。ただし、これはアラブ社会の特性や、イスラム教の教理を知った上でのみ、成功する話ではあろうが。