M・アッバース議長レバノン・キャンプ訪問

2009年12月 8日

 パレスチナ自治政府のマハムード・アッバース議長が、レバノンにあるパレスチナキャンプを訪問した。しかし、パレスチナ難民の立場には、何の進展もなかったようだし、これからもあるまい。

 パレスチナからの難民が、レバノンに移り住んだのは、主に1948年(第一次中東戦争)と1967年戦争(第三次中東戦争)の後だ。レバノンに居住するパレスチナ難民の数は、UNRWA(国連難民機関)の発表によれば、40万人とのことだが、実数はもっと少ない、25万人程度であろうと思われている。

 長い難民生活の揚句に、周辺のアラブ諸国に移住したり、仕事を求めて出かけ、そこに定住している者がいるからだ。そうはいっても、人口400万人のレバノンでは、たとえ難民の実数が25万人だとしても、その数のレバノン人口に占める割合は、大きなものであろう。

レバノン政府はこれら難民に対して、一定の社会福祉、人権、医療支援を行っているが、経済的な負担は軽くはあるまい。しかも、パレスチナ難民キャンプで、外部からの侵入者による虐殺事件が起きないように、保護もしてやらなければなるまい。

マハムード・アッバース議長はレバノン訪問時、レバノンのミシェール・スレイマン大統領と会談し、加えて、サアド・ハリーリ首相とも会談している。そのなかで、双方が一致したのは、パレスチナ難民にはレバノン国籍を、与えないということだった。

 それは、イスラエルがパレスチナ難民を抱え込んでいるアラブ諸国に対し、難民に国籍を与えることで、難民問題の解決を図るべきだ、と主張してきたからだ。レバノンの場合は、キリスト教徒国民と、イスラム教徒国民によって構成されており、これまで何度となく、宗派・宗教間の武力対立が発生してきていた。

 そうした状況の下では、スンニー派がほとんどのパレスチナ難民を抱えておくことは、レバノンのスンニー派にとって、好都合なことであったのだ。そのため、これまでパレスチナ難民は、特別な待遇を受けることが、出来てきたとも言えよう。

 世界の難民のなかにあっては、比較的高条件下にパレスチナ難民が置かれていることから、パレスチナ自治政府はこれまで、特別な難民対策を図ってこなかった。今回のマハムード・アッバース議長のレバノン訪問も、パレスチナ難民に対する、あくまでも気休めであったろう。

 これまで、パレスチナ自治政府が集めた莫大な金の一部が、今回のマハムード・アッバース議長の、キャンプ訪問で持ち込まれたろうが、それは彼の権力維持のためであり、彼を支えるキャンプ内ファタハ・メンバーへの、プレゼントであったろう。こうしたことで、パレスチナ難民問題はごまかし、先延ばしにされ続けるのであろう。