ラマダンは終わったが悲惨は続く

2009年9月22日

 イエメンで北部のアルホウシ部族と、イエメン政府軍との衝突(内紛)が始まって久しい。毎日届くニュースは、アルホウシ部族側の死傷者の数だ。

 ラマダンが終わった日を、イスラム世界ではイード・ル・フィトル祭と定め、子供たちは新調した服で着飾り、親族近隣が訪問しあって、楽しむのが普通だ。このときにお菓子やお小遣いをもらえることも、子供たちにとっては楽しみだ。 

 しかし、イエメンの場合はイエメン政府側が、ラマダン停戦を呼びかけたが、実際には戦闘は止むことは無かったし、イード・ル・フィトルを迎えても、戦闘は続いている。何十人あるいは百何十人の、犠牲が出たというニュースが流れてくると、そこはまるでイスラム教世界とは、関係のない場所のような気さえする。

 同じように、イランとイスラエルとの緊張関係は、あいも変わらず続いている。イスラエルのペレス大統領は、ロシアのメドベージェフ大統領に、イランと戦争をするつもりは無い、と語ったと伝えられているが、他方では、戦争はイスラエルの選択肢から消えていない、という強硬な意見が、イスラエル政府高官の、何人かの口から出てきている。

 アメリカはどうかといえば、ブレジンスキー氏が、「イスラエル機がもしイラク上空を通過して、イランを攻撃するようなら、アメリカ軍はその爆撃機を撃墜すべきだ。」という強硬な発言しているが、それが彼の本心なのかどうかは、分からない。

 ところで、この二つの危険な状況は、いずれもイスラム教のシーア派が、かかわっているということは、何を意味するのだろうか。イエメンのアルホウシ部族は、何度も書いたようにシーア派のザイデイ派であり、イランはシーア派のなかの12イマーム派の国だ。

 その他のイスラム教スンニー派の国は、比較的穏やかなイード・ル・フィトル祭りを、迎えているようだ。もちろん、イラクの状況は、必ずしもそうではない。この国も、内紛の原因のひとつには、イスラム教シーア派の存在が、絡んでいる。

 いま世界は、イスラム教シーア派を、問題を生み出す原因のひとつに、定めているのかもしれない。近い将来、イスラム教シーア派の住民を抱えている国は、多かれ少なかれ国内的トラブルに、遭遇するのではないか。

 たとえば、サウジアラビア、バハレーン、クウエイトなどがそうだ。これら以外にも、湾岸諸国にはイスラム教シーア派国民と、住民を抱えている。イスラム教シーア派の人たちが、イスラム教世界のなかで虐げられてきたために、いまだに、現状に対する怒りを、爆発させるエネルギーを、蓄えていることが、その原因であろうか。そして、そのエネルギーを利用とする国々が、存在するからであろうか。

 世界の経済、特にアメリカの経済は今後、年末にかけて危険水域に入る、と主張する人たちが少なくない。そうであるとすれば、湾岸諸国は今後、不安定さを増していくのではないか。