中国の三国時代、蜀の諸葛孔明が魏の司馬仲達と戦うなか、陣中で死亡したが、司馬仲達は諸葛孔明が生きているものとばかり思い、諸葛孔明軍が撤退するのを見て、諸葛孔明に策略ありと勘違いし、ついには退却したという話があるそうだ。
最近になって、またウサーマ・ビン・ラーデンの肉声のテープ、なるものがインターネットの世界で話題になっているが、これも諸葛孔明の故事に、似たものではないかと思われる。
ウサーマ・ビン・ラーデンの死亡説は、すでにだいぶ前から出ているし、ブット女史が暗殺されたのは、彼女がそれを明かしたからだという話もある。
真偽のほどを確認する方法はないが、彼が重病を病んでいたことなどから考え、アフガニスタンの山の中に、本当に籠っていたのだとすれば、とても生きているとは思えない。
数年前に、PHP新書から「ジハードとテロリズム」という本を出した際に、ウサーマ・ビン・ラーデンの死亡をほのめかしたところ、早速それを否定してくださった方がいた。
情報に携わっている者の間では、誰もいまではウサーマ・ビン・ラーデンが生きているとは、思っていないのではないか。しかし、彼が生きているということは、各方面の人たちにとって、死亡しているよりも好都合なのだ。
たとえば、パキスタンの軍情報部にしてみれば、ウサーマ・ビン・ラーデンが生きている。そして、彼が外部に出られないように包囲している、ということは、外国からの援助を受ける口実になるのだ。したがって、パキスタンの情報部からは、ウサーマ・ビン・ラーデンの死亡情報は、出て来にくいだろう。
同様に、世界のテロと戦うと宣言している国にとっても、イスラム・テロのスーパー・スターである、ウサーマ・ビン・ラーデンが存命だということは、極めて好都合なことではないのか。
問題は、なぜ時折、ウサーマ・ビン・ラーデン存命説や、彼の肉声といわれるテープが出てくるのかということだ。それは、アルカーイダ側(?)にとっても、彼と敵対する側にとっても、必要だからに違いない。
ではいま、なぜウサーマ・ビン・ラーデンの肉声テープが、出てくる必要があるのかを考えてみよう。それは、秋の夜長の謎ときには、格好の材料ではないのか。
イラク、アフガニスタン、パキスタン、イラン、経済危機と、謎解きの材料は豊富だ。それを積み木のように、積み上げては崩してみたらいいだろう。