イスラエルのイデイオト・アハロノト紙は、ネタニヤフ首相が1998年に首相だった頃、シリアに対し、ゴラン高原を全面返還する意思があっことを、報じている。
この報道は、ただちにアッサフィール紙(アラブ左派紙)、プレス・テレビ(イラン)でも報じられた。この内容は、イスラエル・シリアが相互に国家の存在を承認し、国境を認め合うことを条件に、国連決議に従って、ゴラン高原を全面返還するというものだ。
しかし、次にネタニヤフ氏が首相になった時点でも、今回の首相任期にも、彼はゴラン高原は絶対に返還しない、と言い切っている。
いったい、この変化はなぜ起こったのか、そして、今回この情報がイスラエルの新聞を通じて、流されたのは何のためなのか、検討に値しそうだ。
イスラエルにとっては、いま最大の課題は、イランの核兵器であろう。アメリカは最近になって、急きょ立場を変え、イランが核兵器製造能力を、持っていることと、製造の危険性を、警告し始めている。
これは、述べるまでもなく、9月の期限が過ぎた後の、イランに対する国際社会の、制裁決議に向けた動きであろう。
イラン側は、イスラエルの攻撃警告、アメリカの国際的なイラン封じ込めに対し、軍事力を行使してでも、抵抗するという強気の立場を、示して来ようし、すでにその兆候は表れている。
そうなると、イスラエルにとって危険なのは、イランが動く前に、あるいはイランと呼応して、イスラエルに対し、シリアが軍事行動を、起こすことであろう。そこで、イスラエルはシリアに対し、ゴラン高原返還による、全面的な平和の構築も、頭の中にあるということを、示す必要があったのではないか。
もちろん、このことについて、イスラエル政府は公式には、何も報じていない。あくまでもマスコミを使っての、間接的なシリアに対する、懐柔策でしかないのだが、シリア側もイスラエルとの戦争を、望んでいないことから、この情報が流されたことは、双方にとって当分の間の、平和な関係を維持する上で、役立つのかもしれない。