いまだに、真偽のほどが明らかにならないなかで、パンナム機の爆破犯とされている、事件当時情報将校だった、リビア人のメグラヒ氏が重態になり、リビアの病院の集中治療室に、担ぎ込まれている。
彼は1988年12月21日に、パンナム機の爆破事件が起こった際に、爆破犯とされ、執拗なイギリスとアメリカの追求を受け、ついにはカダフィ大佐もイギリスとアメリカの恫喝に耐えかねて、1999年に国連に引き渡された。
次いで、彼ともう一人の容疑者は、オランダの特別法廷で裁かれ、一人は無罪になり帰国出来たが、その後、メグラヒ氏はスコットランドの刑務所で、無期懲役に服していた。
しかし、この事件の真相は、いまだに不明というのが、公正な判断ではなかろうか。事件が起こってしばらくしてから、レバノンのパレスチナ・ゲリラ組織のメンバーが、レバノンで起こった要人暗殺事件にかかわって逮捕されたが、処刑される前に、「あのパンナム爆破はわれわれがやったのだ。」と証言しているのだ。
そして、この処刑されたパレスチナ人は、爆破テロを依頼したのは、イランであり、イランはその前に起こった、アメリカ軍によるイラン機撃墜事件に対する、報復としてアメリカ機の爆破テロを、依頼したのだとも語っていた。
偶然ではあろうが、イラン機の爆破による犠牲者が、確か270人程度、パンナム機の爆破による犠牲者も、ちょうど270人程度と、ほぼ同数であったことが、印象深かった。
彼はもしかしたら、真犯人ではなかったのかもしれない。しかし、長期にわたる刑務所生活を送った後、彼は癌を患い、今回、イギリス政府のリビアとの石油取引の材料として、人道的配慮(?)から、リビアへの帰国を赦された。
アメリカ政府はメグラヒ氏の帰国に際し、彼を英雄扱いしないようにという、厳しい条件を付けたが、それは何の価値があるというのだろうか。
一時期、パンナム機の犠牲者遺族のなかからも、真実は何かを知りたい、という動きが起こり、リビア側と協力して、真相を究明しようという動きもあったが、いつの間にか立ち消えになっている。
彼メグラヒ氏の余命は長くなかろう。57歳だというメグラヒ氏の表情風貌は。どう見ても、相当の高齢者にしか見えない。彼の帰国を待っていた父親のほうが、若くすら見えるのだ。
歴史のなかで起こる、数々の事件や出来事のなかで、犠牲者は多数生まれる。彼もまた、実際にはその一人なのかもしれない。そうであるとすれば、実に気の毒な話ではないか。