トルクメニスタンを訪問した。幾つかの目的があって訪問したのだが、そのうちのひとつは、総合病院着工式への参加だった。
トルクメニスタンの夏は相当の温度になるため、式典は早朝に行われることになった。そのため、会場に向かってホテルを出たのは、朝の6時半頃だった。既に沿道には何千人ものトルクメニスタン国民が、男女老若の別無く参加し、列をなしていた。
大統領が会場に着いて式典が始まったのは、それから2時間近く経過してからであったろうか、賓客であるわれわれは天幕のなかで、椅子に座って待つことになったが、それ以外の人たちは外交団も含め、炎天下に立ち並んで、式典の開始を待っていた。
式がスムーズに進み、着工式は終了した。その後トルクメニスタン大統領との会話の機会が与えられた。彼は日本訪問を楽しみにしていると、何度も語っていた。前大統領は日本訪問を希望しながらも、不幸にして訪問前に死亡し、その希望は叶えられなかった。それだけに、新大統領の訪日は、何としても叶えて差し上げたいと思った。
トルクメニスタン大統領の訪日に備え、日本側はどのようなことに、配慮すべきなのであろうか。第一に、相手国が発展途上国であるという対応を、すべきではないということだ。
途上国の人たちはコンプレックスもあることからか、非情に敏感に自国が遅れていると思われることを嫌うのだ。従って、相手国の大統領や随行の人たちと接触する場合、日本はすばらしいだろう、という対応をすべきではない。あくまでも対等の立場を、採ることに留意すべきであろう。
第二には、相手国が世界の中でどの点で優れているのか、恵まれているかを知り、そのことを指摘し賞賛すべきであろう。トルクメニスタンは世界第四位のガス埋蔵量を有する、エネルギー資源大国なのだ。
そのことから、トルクメニスタンでは教育、保健、住環境の整備が、急速に進んでいる。首都のアシュガバドはいま、建築ラッシュであり、白亜のビルが林立している。それは官庁であり、公務員や一般国民用の住宅ビルなのだ。しかも、住宅費はほとんど無償に近いか、無償で提供されているのだ。
総合病院の着工式のあと、地元のテレビと新聞からインタビューを受けたので、「素晴らしいの一語に尽きる。」と賞賛の言葉を述べたのだが、相手はそれだけでは満足しなかった。
病院の設備についても、褒めてほしいという感じだった。そこで病院の設備は、日本や欧米のものと比べても、なんら遜色のない進んだ機材だと褒めた。しかも、それらの機材をきちんと使いこなせる、技師や医師がトルクメニスタンにはいるとも褒めた。
一連のインタビューが終わった後、立ち会った友人が私に言ったことが、非情に印象的だった。彼は「途上国という言葉はある種の差別です。先進国の人たちは当然だと思うでしょうが、途上国側の人たちから見れば、それは差別に聞こえるのです。彼らはこの病院を見て分かるとおり、出来るだけ進んだ機械を入れて、立派な病院を作ろうと思っているのです。」たしかにその通りだと思った。
続いて彼は「途上国に物を贈る場合、決してくれてやるという態度をとってはだめです。そういう態度で物を贈ると、相手は感謝どころか、反発感情だけが強くなるのです。贈る側は馬鹿らしいと思うかもしれませんが、お贈りしますので、有効に使ってください、という遜った気持ちを込めて贈るべきだと思います。」これも然りだ。
トルクメニスタンはガスの大産出国であることもあり、国民は極めてプライドが高い。彼らの先祖は勇敢な戦士でもあった。このため、こちら側の態度に不遜な感じがあれば、彼らはたちどころにそれを、感じ取ることが出来るのだ。
トルクメニスタン大統領を日本に迎えるにあたっては、その辺を十分に認識した上で、対応していただきたいものだ。けっして貧困で遅れた国だ、などという対応をすべきではない。
トルクメニスタン人は他の中央アジア諸国と同様に、ソビエトの一部を構成していた時代には、モスクワやサンクトペテルブルグの大学で学んでいたのだ。従って、エリート層の知的水準は、相当に高いと考えていたほうがいいだろう。
何はともあれ、トルクメニスタン大統領の訪日がスムーズに実現し、双方にとって有意義なものになることを祈念する。