パレスチナ解放機構の議長に、アラファト氏が留まっている頃に、オスロ合意が成立し、その後、パレスチナ・イスラエル和平最終合意に向けた交渉が、イスラエルとパレスチナとの間で行われていた。その時のパレスチナ側の代表者が、現在パレスチナ自治政府のマハムード・アッバース氏だった。
彼はイスラエル側との交渉で、最終的な和平の試案を作っている。それがベイリン・アブーマーゼン(マハムード・アッバース)合意だ。
つまり、マハムード・アッバース議長は以前から、イスラエル政府側と相当入り組んだ関係に、あったということだ。その理由の一つは、彼がイスラム教徒ではない、バハイ教徒だということにあるのかもしれない。そのことは、エルサレムの重要性を低下させるからだ。
マハムード・アッバース議長については、幾つもの(?)マークがついているが、最近になって、とんでもない情報が飛び出してきた。それは、マハムード・アッバース議長がアラファト議長の暗殺に、関与していたというものだ。
この情報を暴露した人物は、アラファト時代ナンバー2のポジションに就いていた、ファルーク・カドウミ氏だ。彼はオスロ合意後もパレスチナの地には戻らず、チュニジアやシリアに居住し、マハムード・アッバース議長体制になってからは、辛口の批判を続けている。
ファルーク・カドウミ氏はアラファト議長の死を、イスラエルとパレスチナの罠によるものだったと主張している。その時の秘密文書が残っており、アラファト議長にもその書類が送られ、身の危険を知らせていたということだ。しかし、アラファト議長はパレスチナに留まり、この陰謀と戦うと言い張り、結果的にパリの病院に向かうまで、西岸から離れることは無かった。
このアラファト議長暗殺の秘密会議には、イスラエル、パレスチナのほかに、アメリカの情報機関員が出席したということだ。パレスチナ側からはマハムード・アッバース議長の他に、ガザ地区の治安責任者であったムハンマド・ダハラーンも、出席していたということだ。この人物については、アメリカの情報機関やイスラエル政府と、深い関係にあるという情報が何度も流されている。
もう一つの情報は、マハムード・アッバース議長はパレスチナの半分しか代表しておらず、彼にはイスラエルと交渉する資格は無いというものだ。イスラエルのリーバーマン外相が主張するところでは、「パレスチナとイスラエルとの交渉は、パレスチナ自治政府がパレスチナ人全体を代表しているという前提だが、現在のパレスチナ自治政府とマハムード・アッバース議長は、西岸しか代表していいな。」ということだ。
マハムード・アッバース議長にとっては、いずれも極めて不愉快な情報、ということではないか。