A・ネジャド大統領のあせりとハメネイ師の動揺

2009年7月25日

 イラン宗教界のトップであり、精神的国家のリーダーである、ハメネイ師の絶大な信頼と支持を得ているはずの、アハマド・ネジャド大統領が自分の親戚である、モシャイ文化遺産・観光担当副大統領を、筆頭副大統領に昇格させた。

 この人事に、ハメネイ師は「否」を出し、アハマド・ネジャド大統領がそれを受けるか否かが、イラン国内外で注目されていた。イランの保守派アヤトラからも、モシャイ氏の筆頭副大統領昇格に、反対意見が出ていた。

 結果的に、アハマド・ネジャド大統領はハメネイ師の意見を入れ、モシャイ氏の筆頭副大統領昇格を取りやめた。

 これは一体、どういうことを意味しているのであろうか。推測の域を超えるものではないが、私見を述べてみよう。なぜならば、今回の出来事はイランの近未来を予測する上で、多くのヒントを与えている、と思われるからだ。

 

:まず大統領選挙でアハマド・ネジャド氏は大勝したことになり、大統領に再選された。

:国民の間からは選挙結果について不満が高まり、大規模デモが起こり、多数の死傷者が出た。

:ハメネイ師は今回の大統領選挙が、正当であったとし、アハマド・ネジャド氏の当選を認めた。

:国民の多くがハメネイ師の見解これを受け入れなかった。

:イランの権力内部に亀裂が生まれ、ハタミ師やラフサンジャニ師、カロウビ師らは異を唱え始めた。

:アハマド・ネジャド大統領は、将来的な不安を感じ、親戚を筆頭副大統領に据えることで、体制強化を図ろうとした。

:しかし、それはハメネイ師が認めなかった。

 

 一連の流れを見てみると、ハメネイ師は二度の間違いを、犯したことが分かろう。第一には、選挙結果について明確な形で言及したことだ。本来であれば、国民の中で意見が割れた際には、ハメネイ師はあくまでも、話し合いによる解決を指示すべきだった。

 第二には、今回の筆頭副大統領の人事で、明確は「否」を唱えたことだ。

 これら二つの間違いは、ハメネイ師を最高指導者の立場から、引き摺り下ろすことになり、反アハマド・ネジャド派の人たちから見て、政敵の立場にしてしまったのだ。

 結果的に、アハマド・ネジャド大統領も、今回の人事を行ったことにより、極めて個人的な利益を守ろうとする、人物であるというイメージを、イラン国民の前にさらけ出してしまった。

 後は時間の問題であろう。イラン国内政治は大変革を前にしている、ということではないか。