先週の金曜日、イラクのズィバリ外相が来日し、彼の歓迎と日本イラク国交樹立70年記念パーテイが開催された。パーテイに出てみると、日本側から外務大臣代理、イラクのサマーワに行った、佐藤隊長(現参議員)なども参加していた。
その席でイラン大使にお会いしたので、イランの国内状況いついて尋ねると「もうすぐ落ち着く」という返事だった。それは特別に気負ったものではなく、本心からの発言であったと思われる。
後日、日本の元外務省の高官の方と話す機会があり、同じ質問を向けてみた。返事はイラン大使と同じで「簡単に片付くだろう。選挙に大きな不正はなかったと思う。」と語っていた。
その後、イランの護憲評議会が調べたところ、投票数が投票者よりも多い、という珍現象が50都市であったことが明らかにされた。しかし、それは当落に関係するレベルでは、なかったということだ。
今週に入り、イランの外交官が意見交換したいというので、大使館に出向いた。ここでも「状況は間もなく安定する、これはイランが民主化の過程にある証拠だ。デモに対する規制は、どこの国でもあるだろう。日本でもデモをする場合は、届け出は必要だろう。」と語っていた。
そこで私は「国内的にはそうでも、外国はこのチャンスを逃すまい。アメリカは戦争という手段で、イランの現体制を打倒することが困難なので、国内的に分裂が起こり、体制が潰れるように仕向けて行くのではないか。」と語った。
加えて「最近、銃撃で死亡したネダさんの場合は、彼女がデモ参加者ではなかった、父親がそばにいた、彼女にはフィアンセがいた、、。悲劇のストーリーを描き上げるには、格好の題材を与えたことになる。」とも言った。
イランが考えているほど、今回のデモ事件は容易ではなさそうだ。選挙結果が出る前から、いろいろな工作が外部から、進められていたという情報もある。
イランの外交官に「貴方の国は30年ごとに、難しい状況に直面するね。それはあなたの国が、魅力的過ぎるからだよ。資源、地理的条件、歴史的遺産、、いずれも群を抜いているからね。」と言った。
50年代のモサデク政権つぶし、79年のホメイニ革命、そして今回の出来事、、ほぼ30年の間隔で起こっている。「この危機を乗り切るには、イランの権力者たちが分裂していないことを国内外に示すことだろう。」と語ってきた。
今回の騒動で、イランが犯した最大の間違いは、ハメネイ師を普通の政治家にしてしまったことだ。その結果、彼は日本の天皇的役割を、果たせなくなったのだ。