イラクで広島原爆展開催の要請

2009年5月16日

 長い間在日イラク大使を務めていた、アルジュマイリ大使が離日するに当たって、私に要請を依頼していった案件があった。イラクの三都市で、ぜひ広島原爆展を開催して欲しいし、広島市長にイラク国民を激励に、来ていただきたいというものだった。

そのアルジュマイリ大使の要請を、お伝えするために14日に広島に入り、15日に広島市長にお伝えしてきた。広島市長は前向きにお聞きくださった。しかし、この話を広島市長と市に持ち込むには、こちらからイラクの現状を、出来るだけ正確にお伝えすることも、私の役割であろうと考え、5月前半にイラクを訪問した際の、イラク国内状況の印象をお伝えした。

そのなかで、イラクはアメリカ軍の撤退を来年に控え、国内各派は戦々恐々としており、危険がはらんでいる。従って、アメリカ軍の撤退前後の状況を見て、展示会を開催するか否かを、決めるべきであろうとお伝えもした。

 イラクのクルド地区エルビルで開催された、国際会議に参加したことは、既にこの欄でお伝えしたが、エルビル市以外のクルド地区の都市の様子を、もう少し詳しくお伝えしようと思う。

 最も危険性が高まっているのは、石油資源が大量に埋蔵している、キルクーク市のようだ。ここではクルド人、スンニー派、シーア派、トルコマン人それぞれが、各派それぞれに幾つもの派閥、グループを結成しており、それらのグループ間で何時、武力衝突が起こるかわからない状況にある。

 市内には幾つもの検問所、ブロックが置かれ、各派がそれぞれに縄張りを守っている。従って、市民は身の安全を守るために、出来るだけ外出を控えているし、市当局も危険度が高いために、基本的な市民に対するサービスが、出来なくなっており、市内はごみの収集さえ出来ず、悪臭が漂っているということだ。

 多少の差はあるものの、モースル市も同様の、危険地帯になっているようだ。こうした傾向は、イラクの他の場所でもいえることであり、イラク国内の治安状況が改善しているという、幻想は抱かないほうがよさそうだ。

 キルクーク市など、エルビル市以外の都市の状況を、調べてくれたトルコ人の友人は、同族であるイラクのトルコマン人についても、何十もの組織が誕生し、対立関係にあったと残念がっていた。

 最近、イラクのマリキー首相がアメリカ軍の早期撤退や、アメリカの警備会社の長期契約について不満を述べ、一日でも早く出て行って欲しいと言い出したのは、実は本音ではない。彼は出来るだけアメリカ軍に、長期駐留して欲しいと望んでいるであろう。

アメリカ軍が撤退して行ったら(実際には5万人以上のアメリカ兵が、撤退後も治安維持訓練指導を名目に、残留し続けることになっている)、マリキー首相が暗殺される可能性は、高まるからだ。

 それにも拘らず、マリキー首相がアメリカ出て行け論をぶつのは、国内各派の突き上げに対する、宥めを目的としているに過ぎない。

 イラクの各派は、一日も早くアメリカ軍が出て行けば、自分たちがイラクの石油収入を、牛耳れると考えているからだ。もちろん、そのための主導権を握るには、戦闘も辞さない構えなのだ。

 そうしたイラクの現状を、正確に分析しないで原爆反対、復興激励に広島市が動くのは、危険極まりないことだ。イラク国民を激励し、核兵器の危険性を訴えることは、被爆都市広島の世界に対する、重大な役割であろう。

 その広島市の努力を、成果が大きく、安全な形で進めていくためには、日本国内外の、あらゆる組織機関との協力の下に、世界の国々の状況を、正確に把握する努力も必要であろう。世界で最も安全度の高い日本の状況で判断し、行動を起こすべきではない。そのためには、くだらない市の面子や、市長の面子にこだわるべきではあるまい。