不安定な国内状況の国の場合は、何処も同じなのであろうか。湾岸産油諸国を除くと、アラブの諸国の権力者たちの多くは、自分の利益を優先して考える傾向が強い。
それは、下のレベルの権力や、権限を持った人たちの場合でも、同じことが言える。自分の国の体制が、何時どう激変するかわからない状況の中では、権力を握っているうちに、その後の生活の資金を溜め込もう、隠匿しておこうと思うのが、当たり前なのかもしれない、
いち独立闘争組織のリーダーに過ぎなかった、アラファト議長ですら、死後には家族に、20億ドルとも60億ドルとも言われる、巨額な隠し金を残していたことで、大きな話題になったことがある。
ましてや、国家レベルともなると、その隠匿資金の額は、中途半端なものではあるまい。権力者が隠匿資金を持つのには、権力の座を追われた後の、自身の生活資金だけではなく、自身の権力を維持するためにも必要なのだ。
溜め込んだ金の一部を、部下や大衆に施すことによって、尊敬と忠誠を買うということなのだ。したがって、、一概には悪いと決め付けるわけには行かないのかもしれない。
しかし、他方では日本人のような潔癖症の人種には、嫌われて相手にされない場合がある。相手にされたとしても、それは日本側の都合であって、相手側の都合に合わせたものではなくなるし、相手が必要としている援助とは、かけ離れたものになる場合もある。
日本政府の外国に対する援助が、往々にして現地政府や現地国民の、希望とはかけ離れたものになるのは、そうした相手側の立場に対する、軽蔑の感覚と、くれてやる精神が、一体となったものなのかもしれない。
結果的には、日本側は援助については、日本企業が儲かるような形を、極力取ろうとすることになる。それは、援助を受ける相手国側にも分かっていて「もらってやる」という感情を、持たせることになり、決して感謝はされないことになる。
現在のイラク政府の要人や、地方政府の要人、各派の代表者たちは、日本との関係を早急に強めたい、と希望しているが、その裏には、いまのうちに現金を手にしたい。「明日のイラクと自分がどうなるかはアッラーのみの知るところだ」という感情があるのではないか。
問題はそうしたアラブや、中東の要人たちの立場を、どう受け止めるか、それにどう対応するか、ということであろう。今回、エルビルで開催された国際会議のスポンサーは、イタリアが中心だったが、イタリア政府の人たちには、そうしたアラブ人の一面が、よく分かっているのだ。それにも拘らず、会議を支援するということは、その後の打算が働いているからに他ならない。
彼らはそのような打算は、おくびにも見せず、一生懸命会議の成功に協力していた。植民地支配の経験の長い国ならでは、と感心させられた。日本はこれを見習うよりも、不器用さを貫いたほうが、結果的には成功するのかもしれない。