ネタニヤフ政権が誕生したとき、世界中は中東和平の可能性が消えた、という判断をしたのではないか。確かに、ネタニヤフ首相やリーバーマン外相の発言は、中東和平に希望を抱かせる、内容のものではなかった。
しかし、最近になって、中東和平が前進するのではないかという、かすかな兆候が見え始めている。それは、ヨルダンのアブドッラー国王がネタニヤフ首相について、強硬派ではなく話し合いが出来る相手だとし、ネタニヤフ首相がアブドッラー国王に送ったメッセージは、前向きのものだったと評している。
そして、アブドッラー国王はネタニヤフ首相の状況が落ち着いてから、彼と和平について話すつもりのようだ。もちろん、それはアラブ側の和平案を、前面に出してのものと思われる。つまり、「土地と平和の交換」であり、イスラエルが1967年戦争前の国境まで、引き下がることを意味している。
もう一人の強硬派とされ、和平の可能性がなくなったとまで、多くの人たちに感じさせた、イスラエルのリーバーマン外相が、エジプトを訪問した折に、意外に柔軟な姿勢を示したようだ。
リーバーマン氏が外相に就任したあと、エジプトのアブルゲイト外相は、彼とは握手を拒否するとまで嫌っていたが、リーバーマン外相はエジプトを訪問し、オマル・スレイマン情報長官と会談している。
その会談後、エジプトの高官はリーバーマン外相が、意外に柔軟な意見を述べたと語り、リーバーマン外相がそれまで否定していた「二国家案が唯一の解決策だ。」と語ったというのだ。
リーバーマン外相は中東和平が、二国家設立でしか達成されないと語ると同時に、ガザ地区と西岸地区の経済発展が、必要であることにも言及したようだ。オマル・スレイマン情報長官は、最近になってガザからの攻撃が止まっているのは、エジプトがハマースを説得したからだ、とリーバーマン外相に伝え、これに対して、リーバーマン外相はオマル・スレイマン情報長官に、イスラエルにとってエジプトとの関係は、最重要だと語ったということだ。
こうしてみると、ネタニヤフ政権がパレスチナとの平和共存に、向かうのではないかという、期待を持たせるのだが、そう簡単ではあるまい。最大の難関は、疑心暗鬼に陥っているイスラエル国民に、どう和平受け入れ、二国家案受け入れを、説得するかという、難題が待ち受けているからだ。
イスラエルがここに来て、意外な柔軟姿勢を示したのは、アメリカという最大のスポンサー国が、経済危機に陥り、イスラエルへの資金援助が、困難になってきていることが挙げられよう。イスラエルに対する、在米ユダヤ人団体の援助金が、大幅に落ち込んでもいるようだ。
このため、イスラエルの経済は相当悪化してきている。イスラエル製品に対するボイコット運動も、ヨーロッパでは民間レベルで行われており、イスラエルからのヨーロッパ市場への、輸出も減少しているのだ。
イスラエルがガザ攻撃を行ったことで、国際社会のなかで孤立したことも一因であろう。ロシアやヨーロッパの多くの国が、これまではホロコースト問題があり、容易にはユダヤ人やイスラエル非難が、出来ない状態にあったが、ガザ攻撃の後は、ここぞとばかりに、イスラエル非難を始めている。
ネタニヤフ政権について、ヨルダンのアブドッラー国王が語り、エジプトの政府高官が語ったように、イスラエル新政府が意外に柔軟な姿勢を、今後も持続して行くことを望む。希望的観測かもしれないが、イスラエルがこれまでアラブに妥協し、和平を構築してきたのは、いずれも強硬派、右派政権といわれる政権の時だったことを思い起こすと、あるいはネタニヤフ首相が、困難なパレスチナとの共存の、突破口を開くかもしれない。その可能性はゼロではあるまい。