似通っているイランとイスラエル恐怖症

2009年3月29日

 イスラエルの空軍機が、スーダンで武器を輸送していた、とされるトラックを空爆した、というニュースが流された。そして、そのトラックに積まれていた武器の供給元は、イランだという説明がなされた。

 このニュースと、それに対する解説は、事実かもしれないし、全くのでたらめかもしれない。空爆された現場を見たわけではないので、実際に武器が積まれていたのか、スーダンが主張するように、アフリカの人たちが乗っていたのか、想像の域を超えることはできない。

 ただ、このニュースを読んでいて、ふと考えたことがある。それは、イスラエル側の主張しようとしているのは、スーダンのトラックに武器が積まれていたから空爆した、ということだけではなさそうだ。

 このニュースで説明されていたのは、イランで詰まれた武器が、ペルシャ湾を通過し、イエメンに届き、次いでスーダンの港ポートスーダンに着き、そこからエジプト領土を通過して、ガザに持ち込まれているということだ。

 この武器密輸には、シナイ半島での輸送に、レバノンのヘズブラが、関与していることにもなっている。彼らがシナイ半島のベドウインたちと協力して、ガザに武器を運んでいるということだ。

 次いで、そのレバノンのヘズブラと、シリアとの関係は深く、そのシリアは、イラクへの義勇軍の、通過地点になっているということだ。そして、イラクのシーア派は、イランと特別な関係になっているということになる。

 これでお分かりだろうか、イランは、既に、アラビア半島を完全に包囲している。イランはイスラエルを敵としているだけではなく、アラビア半島の各国も、攻撃の対象と考えている、ということになるのではないのか。もちろん、そのことはアラビア半島の石油・ガスが、危険な状況になっている、ということでもある。

 その説明は、実にうまく出来ていて、多くの人たちを信じ込ませよう。だが、同時に、イスラエル国民もこの説明を信じ込み、異常なまでの恐怖心を、駆り立てられることになるのではないか。

 そこから出てくる現象には、幾つかがあろうが、ここではとりあえず、最も分かりやすいものを、引き合いに出そう。

第一には、イスラエル国民は自分たちが、非常に危険な状態にあると考え、アメリカ軍が出来るだけ長期間にわたって、イラクに留まって欲しい、と考えるだろう。

 アメリカ軍がイラクに留まる限り、イラクはイランの手には落ちないし、万が一の場合、イラクに駐留するアメリカ軍が、イスラエルを守ってくれる、と思っているだろう。

 第二には、イランがイスラエルの安全上、最も危険な国家であり、ヘズブラもハマースもシリアも、イランが支援しなければ、イスラエルにとって、危険ではなくなると考えよう。その結果、イスラエル国民は、イスラエル政府とアメリカが、一日も早くイランを攻撃し、イスラム革命体制を打倒してくれればいい、と望むだろう。

 イスラエル政府は、こうしたイスラエル国民の不安を、取り除かなければならないわけであり、否が応でも、イランに対して敵対的姿勢を、とらざるを得まい。

 イスラエルがレバノンのヘズブラや、パレスチナのハマース、シリアに対し、イラン攻撃と同時に、攻撃する可能性をちらつかせているのは、イスラエル国民に対する、リップサービスの部分もあろう。もちろん、イスラエルはイランに対する攻撃を、実行したいとは考えているが、それは、アメリカのイラン攻撃が、イスラエルのイラン攻撃とあい前後しなければ、出来ない危険なものであろう。

 イランの場合はどうであろうか。イランは何時、イスラエルやアメリカが攻撃してくるか分からない、という不安の中にある。そこで、イランが考えるアメリカの攻撃や、イスラエルの攻撃を阻止する方法とは、イラク情勢を悪化させ、アメリカ軍をイラクに縛り付けておく、ということではないか。(皮肉にも、この点では、イスラエルとイランが、同じことを望んでいるのではないのか。)

同時に、イラクの状況が改善したということで、アフガニスタンに力を入れようと思っている、アメリカの出鼻を、くじく必要があろう。アフガニスタンがもし片付けば、確実に自国が攻撃される番だと、イランは考えているのではないのか。

 イランがパレスチナのハマースや、レバノンのヘズブラ、そしてシリアに支援を送るのは、イスラエルによるイラン攻撃を、抑える目的ではないのか。もちろん、イランはイスラム世界の解放、アラブの民族闘争支援といった、美辞麗句を並べてはいるが、一番優先して考えるのは、自国の安全なはずだ。

 こうして考えると、イスラエルがイラン攻撃を、あきらめることはなかろうし、イランがすんなり、イラク関与を止めるとは思えない。

そして、アメリカのバラク・オバマ大統領が望んでいる、アフガニスタン対応での、イランの協力取り付けの交渉は、始まりうるものの、協力関係を構築出来る可能性は極めて低い、と考えるべきではないのか。

イランは自分の家に飛び火しそうな火の粉を、一生懸命他家に押しやることによって、火災から逃れようとするのだが、結果的には、自分の家に火をつけているのと、同じことをやっているのではないか。

イスラエルもまた、自分の危険を押しとどめるために、外国に対して攻撃的な姿勢を崩さず、一部は攻撃を加えることによって、ますます危険の度を高めているのではないか。

恐怖心は、ないものをあるように見せ、それに対する過剰な反応を起こさせ、結果的には、始めにはなかったものを、無理やりあることにし、危険を現実のものに、してしまうのではないのか。

それは、お化けがいると勘違いした臆病者が、夢中で逃げているうちに、崖から落ちるようなものではないのか。イランもイスラエルも、もう一度冷静に、全体像を見つめ直して欲しいものだ。