イスラエル政府は、世界に散らばるユダヤ人を、イスラエルに呼び集める活動を、続けてきている。それは、イスラエルという国家が誕生して以来の、世界のユダヤ人に対する、重要な行事(パフォーマンス)であろう。
国を持たなかったユダヤ人は、自分たちの国を持たないがゆえに、歴史を通じ各地で弾圧を受け、虐殺されてきた。そしていま、イスラエル国家が存在する。世界のユダヤ人は、このイスラエルの土地に来ることによって、安堵と希望を与えられる、ということであろう。
1980年代だったろうか。スーダンがまだヌメイリ大統領の時代に、エチオピアで難民化していた、ユダヤ人を救う作戦が行われ、多数のユダヤ人がスーダン経由で、イスラエルに辿り着いている。
この作戦で、ヌメイリ大統領は移住の便宜を図る代わりに、確か、一人当たり1000ドルの謝礼を、イスラエル政府から受け取った、といわれていたように記憶する。それだけ、イスラエルにとっては世界の、特に状況の悪い国からのユダヤ人救出作戦は、重要なテーマなのであろう。
エチオピアから移住したユダヤ人は、ファラシャと呼ばれていた。現在、彼らはイスラエル国内にあって、3等国民の地位に甘んじている、ということのようだ。そうは言っても、エチオピアで何時他部族に殺されるか分からない、危険な状態にあったのだから、イスラエルへの移住は、彼らにとって天恵であったろう。
今回のイエメンからの移住者の場合にも、似たようなことが言える。イエメンのユダヤ人たちは、他部族やアルカーイダから、狙われていたということだ。今回移住してきた、ユダヤ人の代表者であるベン・イスラエル氏の自宅には、移住前に手りゅう弾が投げ込まれることが、あったという話だ。
イエメンからのユダヤ人のイスラエルへの移住は、1950年代から始まり、1960年代にも進められているが、このことはイスラエル・アラブが戦争を挟んで、緊張した時期にユダヤ人がアラブの国を逃れ、イスラエルに移住したのと、同じパターンであったということだ。
現在、イエメン国内には280人のユダヤ人が居住しており、そのうちの230人が、イエメンの首都サナア市に近いライダに住んでいる、とエルサレムポストは伝えている。残りの50人はサナア市内に居住ということのようだ。
イスラエルやユダヤ協会が進める、アリヤ作戦(ユダヤ人移送作戦)は、今後も続けられるだろう。しかし、それがアメリカのユダヤ人の間から、起こることはあってはなるまい。