イスラエルがガザに、陸海空から軍事侵攻したが、イスラエルの目的は再度、ガザを占領することなのだろう、という意見があるようだが、そうではないだろう。
イスラエルが今回軍事侵攻したのは、あくまでも自国の安全確保であろう。もちろん、選挙がらみという言い方もあるが、それはそう大きな比重ではあるまい。
イスラエルがガザをどうするか、ということに対する認識もそうだが、ガザの住民の気持ちも、日本人にはあまり正確に、理解されていないのではないか。私にもガザの住民に対する、同情心は人一倍あるが、彼らは今日の状況を、自分たちの意思で、選択していたことは事実だ。
ガザは狭い土地に、150万人を超えるパレスチナ人が住んでおり、そのうちの多くが、難民として現在のイスラエルから、逃れてきた人たちだ。したがって、彼らの生活はほとんど、国連難民救済事務所の、支給する援助物資に、依存していたといえよう。
ガザにはさしたる産業もなく、経済的には西岸のパレスチナ人に比べ、相当悪い状態にあった(約半分)。したがって、イスラエルとパレスチナの関係が、今日ほど悪化していない段階では、ガザの住民の生活費は、イスラエルへの日帰りの、出稼ぎによって得られる賃金だった。
しかし、その後イスラエル・パレスチナ関係が悪化してからは、ガザからの出稼ぎは、極めて限られた人たちだけが、認められる状況になっていた。その彼らに対するパレスチナ人の視線は、ときとして、イスラエルの内通者、という、冷たい見方であった。
したがって、ガザの住民の経済状態は日に日に、悪化してきていたのだ。そのことに輪をかけて、ハマースとファタハの、武力衝突がガザで起こり、ハマースがファタハに勝利し、ファタハがガザから出た後は、ハマースの強硬なイスラエルへの対応が、度を増して行き、イスラエルは今日の選択を、したということだ。
ガザの住民が苦しい状況下に、1967年に起こった第三次中東戦争以来置かれて来たが、その状況から抜け出すためには、エジプトとの国境が開かれることが、ひとつの道であったろう。
しかし、エジプト政府はガザの状況が、直接エジプト国民伝われば、国内が不安定化することから、ガザのゲートを閉鎖し続けてきた。頼みの綱のはずの、マハムード・アッバース議長が率いる、パレスチナ自治政府は、外交的には何の成果も、挙げられなかった。彼が唯一出来るのは、外国からの援助を集めることだが、その援助もガザには、ほんの少ししか届いていないのだ。
今回の状況を見て、ハマースはなぜイスラエルとの停戦延長をしなかったのか、という疑問があるが、それはハマースが大決断を下し、60年以上にも渡って、何の進展も見なかったパレスチナ問題を、根本から覆そうということであったろう。そのことを、ガザの住民が支持したということだ。したがって、彼らは、しかるべき成果が得られない限り、抵抗闘争を続けるということであろう。
ガザの戦闘でイスラエルがたとえ勝利したとしても、ガザ住民の怨念は尋常ではあるまい。そのガザを占領するということは、ダイナマイトのベッドに寝るも等しい、危険なことになろう。それをイスラエルが知らないはずはない。目的はハマースの排除であろう。