もう27年前の出来事になって、ほとんどの人の記憶には、残っていないだろう。1982年9月、レバノンの首都ベイルート市の一角にある、パレスチナ難民キャンプ、サブラ、シャテイーラで大虐殺が行われた。犠牲者の数は7ー800人だったと記憶している。
この虐殺事件は、イスラエルが北辺の安全を守るためという名目で、レバノンに軍事侵攻し、あっという間に首都ベイルートにまで達した後に、起こったものだった。何故、イスラエル軍がこうも簡単に、まさに破竹の勢いで北上できたのかは、シリアが簡単に敗北し、停戦宣言したためだった。
結果的に手持ち無沙汰になったイスラエル軍は、パレスチナ難民キャンプを包囲し、そのイスラエル軍の包囲網の中で、レバノンのキリスト教右派ファランジスト党の戦闘員にパレスチナ難民を虐殺させたのだ。(アラファト議長はこのときすでに、チュニジアに逃れ、安全な家の中の暖かいベッドにいたのだ)
責められるべきはアラブ側にもあった。シリアがもう少し抵抗していれば、こうはならなかったろうということだ。そしてアラブ諸国が立ち上がっていれば、この虐殺は防げたかもしれない。そしてアラファト議長が犠牲者の数を膨らませていなければ、世界はもっと真面目に、この惨劇を受け止めていたろう。
アラファト議長は犠牲者の数を、なんと10倍近くにも膨らまして、世界にイスラエルの非道を非難し続けたのだ。おろかとしか言いようがないではないか。アラファト議長の虚言で、世界はこの惨劇を、まともに受け止めなくなってしまったのだ。
今回のガザの惨劇も、アラブ世界の各地でパレスチナ支持、イスラエル非難のデモは起こっているが、マハムード・アッバース議長やムバーラク大統領、そしてシリアのアサド大統領に対する、非難の声はあまり聞こえてこない。
ガザとエジプトをつなぐゲートが開いていれば、ガザの住民は食糧難にも、医薬品不足にも陥っていなかったろうし、ガザから逃れることも出来るはずだ。シリアはハマースの幹部を受け入れているが、もっと現実的な助言をしていれば、今回のような惨劇には、至っていなかったろう。
湾岸諸国も、今回の惨劇の前には、イスラエルとの関係を大幅に改善する方向に、動いていた。マハムード・アッバース議長が、あるいはその前のアラファト議長が、もっと真面目にパレスチナ問題の解決を図っていれば、今回の惨劇は起こらなかったのではないか。
パレスチナ自治政府議長は、世界中を飛び回って、支援を取り付けているといわれたが、それは資金援助だけではなかったのか。政治的外交的な支援を、どれだけ取り付けていたのか疑問だ。今回の惨劇の前に、マハムード・アッバース議長の外国旅行好きがマスコミに載っていた。それから1週間も経たない後に、惨劇は起こっているのだ。
たぶん、マハムード・アッバース議長はサブラ・シャテイーラの犠牲者に比べれば、まだそのレベルではない。もう少しガザでパレスチナ人が殺されれば、世界の良心も目を開いてくれるだろう、とでも考えているのであろうか。