ユダヤ人の聖地訪問を禁止かエジプト

2008年12月11日

 エジプトには1950年の初頭までは、数千人のユダヤ人が住んでいた。農業民族のエジプト人は、異民族に対して寛容であり、エジプトのユダヤ人たちは何不自由なく、差別されることも疎まれることもなく、過ごしていたようだ。

 しかし、1948年に起こった第一次中東戦争、それに続く1956年の第二次中東戦争を経て、ほとんどのユダヤ人がエジプトから、イスラエルに移住している。それでも、100人程度のユダヤ人がエジプトを祖国として、イスラエルへの移住を拒否し、居住し続けている。

 つまりエジプトは、ユダヤ人にとって一つの大きく、かつ自由なユダヤ人コミュニテイの存在を、許していたということだ。そのため、モロッコからエジプトに移住したユダヤ人もいた。その一人に、ラビのヤアコウブ・アブ・ハセイラがいた。

 ラビとはユダヤ教の僧侶のような存在であり、彼はその中でも、高位に位置していた人物のようだ。そのことから、彼の墓がエジプトのカイロの北部にある、デミト村に設けられるのだが、ユダヤ人たちはこの墓に巡礼するのが、習わしになっていた。

 一時期はこの巡礼者の数が、25000人程度に達していたようだが、彼の誕生日である1月14日が、イスラム教のラマダンと重なった時期があり、現地住民の間から、イスラム教のラマダンの雰囲気を壊すとして、苦情が政府に持ち込まれ、次第に巡礼者の数が減り、現在では1500人程度が、巡礼に来るようだ。

 今年も、来年1月14日のヤアコウブ・アブ・ハセイラの誕生日の巡礼について、現地デミト村の住民や運動家たちによって、巡礼反対署名運動がおこり、エジプト政府は対応に苦慮しているようだ。

 それは、エジプト政府はイスラエルとの関係を、悪化させたくないということからだ。しかし、デミト村ではユダヤ人団体などが、農民から土地を買い、巡礼者用の施設を建設したいとして、用地買収工作が行われてもいる。

 巡礼者たちはその聖地で、異様な服装をし、ダンスに興じるということだ。それは、イスラム教徒住民にとっては、極めて不愉快なことなのであろう。こうした宗教に絡む問題が顕在化してくると、イスラエル・エジプト両国の国民は激高し、両国政府が対応に苦しくなることは必定であろう。エジプト・イスラエル関係は、そうでなくとも微妙なだけに、問題が拡大しないことを祈る。