一般的には、イスラエルやアメリカによる、イラン攻撃の可能性はほとんどなくなった、と言われているのだが、いまだに、イスラエル国内やイスラエルを支持するアメリカ人の中から、イランの危険性が指摘されている。
すでに何件かをご紹介したように、アメリカの国会議員や学者の中には、イランの核開発を放置することは、イスラエルにとって命取りになる、という見解が披瀝されている。
イスラエルの国内でも同様に、イランを放置すべきではない、という意見が少なくない。彼らは、イランが核の濃縮を進めているのだから、やがては核兵器を製造するだけの、材料を持つことになるだろうということだ。
そして、それに至るまでの時間は、限定されているのだから、早い段階で対応しなければならないと主張している。その期限は、来年前半の早い時期というものもあれば、来年前半の比較的後期とする意見もある。また、来年の秋まで時間が残されている、という意見を主張する人もいる。
問題はこうした危険をあおる意見が、連続的に出て来ると、それを受け止める側のイスラエル人の間に、以下のような思考の展開が起こるのではないか。
:イランは核開発をしている。
:それは核兵器を造るだけの材料を生み出す。
:したがって、時間の問題で、イランは核兵器を所有することになる。
:しかも、イランの大統領はイスラエルを抹殺すると言っている。
:それを防ぐには、イスラエルが先制攻撃を加えて、イランの核開発を阻止しなければならない。
という意見が主流になってくることだ。
つまり、現在イスラエル政府の要人や、アメリカの政治家などによって語られ、繰り返されているイランの核脅威論は、回を重ね時間が経過することによって、そこに迫った危機として受け止められ、それを阻止するための先制攻撃が、行われるのではないかということだ。
いまイスラエル国内で言われている、イランの核脅威論は、結果的に自己催眠をかけているような状態と、同じなのではないかということだ。そのことの危険さに、どれだけのイスラエル人が、気が付いているのだろうか。