トルコ東部に居住するクルド人の一部が、トルコからの分離独立を希望して1974年から始まった、PKK(クルド労働党)による分離独立の武力闘争は、トルコ人の中に3万人に近い犠牲者を生み出している。
このPKKのリーダーであるアブドッラー・オジャランは、シリアの中に訓練基地を与えられ、トルコへの越境攻撃を繰り返していた。つまり、シリアとトルコとの関係は、、1970年代から1990年代にかけて最悪の状況であったということだ。
しかし、1990年代の後半になると、トルコの圧力が増し、シリアはついに、アブドッラー・オジャランを引き渡さざるを得なくなった。もちろん、そうは言っても、シリアはアブドッラー・オジャランを捕まえて、直接トルコに引き渡すわけには行かなかった。
そこでとられたのが、ケニアにアブドッラー・オジャランを送り出し、そこでトルコ側に捕まえさせるという手法だった。もちろん、その裏ではアメリカがトルコの情報部に協力したことが、一連の流れの説明とされた。
以来、アブドッラー・オジャランは1999年から、マルマラ海に浮かぶ、イムラル島の刑務所に幽閉されることとなった。彼がかろうじて死刑を免れたのは、トルコのEU加盟問題に悪影響を与える、という配慮からであった。
このアブドッラー・オジャランに対する処遇に、変化が生まれそうな動きが、最近になって出始めている。欧州拷問禁止委員会(CPT)が、アブドッラー・オジャランは孤独のなかにおかれているために、精神的に問題が発生してきている、とクレームをつけ始めたのだ。
この委員会はトルコ政府に対し、アブドッラー・オジャランが、他者との連絡が取れ、テレビが見られ、電話が出来、弁護士にも単独で会える、ような環境に移すべきだと主張している。
トルコ政府はこれに対し、アブドッラー・オジャランを移送することは、逃亡の危険性があるとして、現段階では拒否しているが、近い将来何らかの妥協案が、トルコ政府側から出てくるのではないかと思われる。
最近では、トルコ政府とイラクのクルド自治政府との関係も良好なものとなっており、イラク中央政府との関係も良好であることから、何とかこのクルド問題を解決したい、と真剣に考え始めているのかもしれない。