インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙が、センセーショナルなタイトルで、イランの核兵器製造能力について報じている。
記事の内容を細かく読み進んでみると、実はそうでもないということが分かる。確かに、今までにイランは低濃縮ウラニューム630キロを持つに至り、この量は核爆弾を造るに足る量だというのだ。
しかし、低濃縮ウラニュームで核爆弾が本当に作れるのだろうか、という疑問が湧いてくる。この私の疑問に対して、彼らは「ダーテイ・ボムだってあるんだ」と反論するだろう。
何のことはないウラニュームをばらまけば、放射能で被害を受ける、という話に過ぎない。しかも、「アメリカ国内にダーテイ・ボムが持ち込まれ、テロ攻撃をされ危険性がある、」と力説する専門家たちもいる。
このイランの核兵器不安説を盛り上げるのは、ヨーロッパやアメリカの専門家たちによる「イランは核兵器を持つことを、最終ゴールにしている」というものだ。
そして、他の専門家筋は「イランは2009年から2015年までのある時期に、核兵器を製造することが可能になる」という見解だ。
正直なところ、中東各国はイランに限らず、できれば核兵器を持ちたいと思っていよう。しかし、核兵器の製造には、高い技術と長期にわたる投資、そして核兵器が完成した段階では、その維持に莫大な資金を必要とするのだ。そのことは、中東に限らず、世界の国々が知っていることだ。
過去に幾つかの国が、核兵器を製造しようとし、あるいは製造した後に、それを放棄したのは、そうしたいきさつからだ。
今、世界、なかでも先進諸国はイランに対し、核兵器の製造につながる核開発をやめろというよりも、積極的に核技術の向上に協力し、逆に協力するなかで相手をコントロールしていくことを、考えるべきではないのか。
アメリカの居丈高なイランの核の開発に対する非難と圧力は、逆の結果しか生み出さないだろうし、核開発を希望している(平和利用目的も含め)各国は、少なからぬ同情をイランに対して抱き、アメリカに対する反発を感じているということだ。