アメリカ軍の一部が、イラクからアフガニスタンに移動することと、大幅なイラク駐留軍の削減が、本格的な話題に上ってきている。アメリカの大統領にオバマ氏が選ばれれば、アメリカ軍もイラク削減のスピードは、速まるだろうと一般的に考えられている。
確かにそうであろうが、もしそうなれば、その後には現状よりも困難な状況が、イラクを覆うことになろう。イラク国内ではスンニー派とシーア派、そしてクルドとの三つ巴の戦いが、展開される可能性が高いからだ。あるいは、スンニー・シーア合同軍がクルドに対抗するかもしれない。
この動きと同時進行で、アメリカ軍の大幅削減を受け、イランがイラクの内政に、より積極的に出ることになろう。イラクの60パーセント以上の国民が、シーア派だということが、イランの野望をあおるのであおる。
確かに、イラク南部住民のほとんどはシーア派であり、イラクのシーア派の活動家、政治家、宗教家の多くが、サダム体制下で弾圧から逃れ、イランに亡命していた。したがって、過去にイランに逃れていて、現在イラク国内で指導的な立場に立っている、政治家や宗教家たちは、必ずイランとの特殊な関係を、強化したいと願っているだろう、恩にも感じているだろう、という期待がイランにはあろう。
しかし、そうだろうか、それほどイラク人はナイーブなのだろうか、という疑問が沸いてくる。過去15年20年のイラン・イラクの動きを振り返って見てみると、まず頭に浮かぶのは、1980年から1988年まで8年間にも渡って続いた、イラン・イラク戦争のことだ。
この戦争では、イラン側もイラク側も、指導者たちは大きな勘違いをしていた。イラク側はイランの南西部のアフワーズ地区のアラブ系イラン人は、イラクとともに戦ってくれるだろう、と期待していたがそうはならなかった。
同じように、イラン側はイラクのシーア派教徒が、共に戦ってくれると期待したが、全くそうはならなかった。つまり、イラン国内に住むアラブ人も、イラク国内に住むシーア派教徒も、それぞれの帰属する国家を自分の国家と確信し、国家のために戦ったのだ。
もし、アメリカ軍が撤退を進めていくなかで、イランがイラクへの影響力を強める方向で動いた場合、イランが予測期待しているのとは、全く異なる状況が起こるのではないか。つまり、イラクのシーア派教徒が、イランイ抵抗する動きを始めるということだ。
イランの意向を受けたかのように受け止められている、イラク議員やマリキー首相のアメリカとの、治安協定に対するネガテイブな反応は、イランの意向を受けてのものではなく、あくまでもイラク国民の意を受けてのものであり、彼ら自身の感情でもあるのだ。
イランがその辺を誤解しているとは思いたくないが、やはり欲がイランをしてアメリカ軍撤退後の、イラクへの強い関与を願うだろう。しかし、その動きはイランをアメリカ同様の立場に、立たせる可能性があることを、忘れるべきではあるまい。
同様に、トルコもクルド地区への軍事攻撃や、関与をする場合には、十分に検討したうえで、限定的な行動に留めておくべきであろう。そうしなければ、事によってはイランとトルコが、イラクを舞台にして対立する状況も起こって来るのだ。その結果を喜ぶのは誰かを考えれば、そのような陰謀がありうるし、すでに計画されている、とも考えておくべきだろう。