ハマースへのアラブ穏健派諸国の接近とアッバースの後退

2008年10月19日

 

 これまでアラブ各国、なかでもアラブの穏健派諸国、あるいは親米派諸国は、パレスチナのハマースとの間に、距離を置いてきていた。それは、マハムード・アッバース議長が中心の、パレスチナ自治政府に対する、義理立てであったと同時に、自国へのイスラム原理主義の、浸透を恐れたためでもあろう。

 しかし、ここにきて、次第に明確な形でハマースに接近する、アラブ穏健派諸国が増加してきているようだ。エジプトはこれまで、ハマースを押さえ込むことに、パレスチナ対応を絞ってきていたが、次第にパレスチナ自治政府、マハムード・アッバース議長だけではなく、ハマースとイスマイル・ハニヤ首相を、相手にするようになってきている。

 ヨルダンがハマースとの関係を強化し始めたことは、公のものになってきている。もちろん、このアラブ穏健派諸国の動きに、一番敏感に反応しているのは、マハムード。アッバース議長だ。彼はエジプト政府による、パレスチナ自治政府とハマースとの会議に反対しているし、ムバーラク大統領が呼びかけた、マハムード・アッバース議長とイスマイル・、ハニヤ首相との、対談出席を拒否してもいる。

 述べるまでもなく、この一対一の会談に臨めば、イスマイル・ハニヤ首相が、マハムード・アッバース議長の汚職や、イスラエルへの際限のない妥協、イスラエル政府依存の体質について、厳しく追及されるからであろう。

 同時に、そのことは、ムバーラク大統領がマハムード・アッバース議長に対して、イスマイル・ハニヤ首相とハマースに対する、譲歩と妥協を迫ることになろうからであろう。

 マハムード・アッバース議長はイスマイル・ハニヤ首相を、現在ではパレスチナ自治政府の首相として、認めていないが、イスマイル・ハニヤ首相は正式な選挙で、選出されたものであり、マハムードア・ッバース議長が勝手に首にし、何の正統性もないファイヤード氏を、首相に任命することは、ルール違反であり、パレスチナ内部での、マハムード・アッバース議長の独裁色を、内外に明らかにするものであろう。

 なぜいまの段階になって、アラブ穏健派諸国が、イスマイル・ハニヤ首相やハマースとの距離を、つめているのであろうか。そこには、幾つもの理由がありそうだ。

 第一に考えられるのは、アラブ穏健派諸国のなかで、イスラム保守派の人たちが、増えてきているということだ。

 もし、この拡大傾向にあるイスラム保守勢力を、完全に無視すれば、次に拡大してくるのは、イスラム原理主義者たち、ということになろう。それは、アラブ穏健派諸国政権にとって、あまりにもリスクがありすぎるのだ。

 サウジアラビアの例が、アラブ穏健派諸国の政府に、変化を促しているのかもしれない。サウジアラビアでは、あまりにも国内的に、締め付けが厳しかったために、結果として、イスラム原理主義がはびこり、体制は不安定化しつつあるからだ。

 第二に考えられる理由は、アラブ穏健派諸国も世界の例外ではなく、高インフレと経済危機に直面しているということだ。なかでも、非産油諸国の経済は、危機的状況に近づきつつある。そうしたなかでは、国民の不満は拡大し、暴発点に到達するのも、時間の問題かもしれない。こうしたこと、がアラブ穏健派諸国をして、ハマースへの接近を、促しているのであろう。

 第三に考えられることは、シリアの立場に変化が出てきているということだ。シリアのアサド大統領は、これまでアラブ民族主義の旗頭という地位を、維持しようとしてきたが、最近になって、次第に現実的な選択をするようになってきている。

 レバノンとの正式な外交関係を開いたのは、その最も顕著な例であろうか。これまでシリアは、レバノンを自国領土あるいは属国とみなし、レバノンの内政に関与し、軍を駐留させ、暗殺にも関与してきているといわれていた。

 パレスチナ問題にも同様に、シリアは深く関与してきていた。しかし、シリアの最近の動きを見ていると、必ずしもパレスチナ自治政府に敵対する立場を、堅持しているとは言えなくなってきた。そのことは、ある意味ではハマースに対し、冷たく対応するようになってきている、ということでもあろう。

 シリアに亡命しているハマースのリーダーである、ハーリド・ミシャアル氏に対する対応は、これまでのような、温かいものではなくなってきているのだ。それどころか、ハーリド・ミシャアル氏を国外に追放するのではないか、彼の行動が大幅に押さえ込まれるのではないか、という懸念すら噂されるようになってきている。

 距離を置いて考えると、シリア、エジプト、ヨルダンといった国々が、それぞれの役割を果たし、パレスチナの両派を、操縦し始めているのかも知れない。その結果、パレスチナのリーダーたちが、冷静な判断を下し、汚職を減らし、パレスチナ問題の解決に真剣に向かって行くことを望む。