イラクのクリスチャンがいま、悲惨な状況の置かれており、強姦、略奪、殺害,改宗強要の対象になっている、ということはすでにお伝えした。
しかし、ここにきて、意外なことに、このクリスチャン受難事件の加害者として、クルド人が引き出され始めたのだ。イラクのクルド人は、イラク国内にあって、スンニー派主導のサダム体制下では、ハラブジャで毒ガス兵器によって、多数が犠牲になるという、マイノリテイの悲惨をなめてきた。
その悲惨な状況を見かねてか、あるいは、あくまでも打算からか、アメリカ軍がサダム体制下に仕掛けた湾岸戦争後は、イラク国内にあってサダム体制が維持されていたにもかかわらず、特別の状況下で守られることとなった。
アメリカはイラク北部に居住する、クルド人を庇護するために、湾岸戦争後サダム体制に対し、北緯32度以北への、航空機の乗り入れを禁止し、クルド地域はイラク国内にあっては、例外的な平和を享受してきた。
続く2003年に起こったイラク戦争後は、他のイラクの地域とは異なり、クルド地区だけが、経済発展、復興が急速に進んで来た。こうした状況を、外部から見ている人たちの中には、イスラエルがクルド地区を、第二の故郷とする気なのではないか、という説まで飛び出すほどであった。
したがって、クルド人たちは1991年の湾岸戦争以後、そして、2003年のイラク戦争後、特別な扱いをアメリカとイスラエルから、受けてきたということだ。
ところが、アメリカ軍のイラク撤退が、具体的な形でタイム・テーブルに乗り始めたいまに至って、クルド人がクリスチャン弾圧の、張本人にされ始めたのは、何故なのだろうか。
簡単に推測すると、アメリカはイラク撤退後、クルド人の安全を守れないことから、事前にクルド人に現実を教えるということを、狙っているのかもしれない。
あるいは、クルド人とトルコとの関係を修復し、アメリカ軍が撤退した後の、イラク国内状況を安定化させるために、トルコ対クルドという対立関係や、イラクのスンニー・シーア派対クルドという対立関係を薄め、クルド対クリスチャンという、マイノリテイ同士の対立に変えることによって、対立のエネルギーの規模を、縮小しようとしているのかもしれない。
クルド人がイラク・クリスチャンの弾圧者、というニュースは、その真因がどこにあるかは別に、一つのイラク国内と周辺での、大きな変化を示すものであろう。推測するには実に興味深いテーマであろう。