イラクのクリスチャンが受難

2008年10月16日

 

 イラクの北部の街、モースルに居住しているクリスチャンが、暗殺されるという事件が重なり、1307家族が別の場所に移住している、という情報が伝わってきた。

 彼らは、ほかのイラク国民同様に、特別な犯罪を犯したわけでも、差別をしたわけでもないのだが、イラクの混沌とした状況の中で、狙われ犠牲になったということだ。

 モースルという街は多民族、多宗教、多宗派が混在している街だけに、少しの不満でも暴発しやすいのかもしれない。

 しかし、このニュースがキリスト教世界に、広範に伝わったとき、どのような反応が起こるのか、ということを考えると不安がよぎる。

 現在の状況は、あらゆる小さな出来事が、想像もつかないような、大事件に発展していくからだ。昨夜書いた、イスラエルのアッカ事件も、普通なら数時間で解決するはずのものが、数日にまたがり、イスラエル全体を不安に陥れている。

 今回のモースルで起こった、クリスチャン受難事件も、現代の十字軍戦争を引き起こすことに、つながるかもしれない。世界中にはそれだけの不満が、鬱積しているということだ。

 宗教は愛と正義を教えてりるはずなのに、今では殺人の方便として、使われているケースが多すぎる。それは、宗教者たちが権力の言いなりに動くことにより、個人的な現世利益を得ている、ということも影響していよう。

 日本で開催が続いて久しい、世界宗教者会議などで、この流れを変えることはできないものか。悲惨な状況が続いている国で、世界中の宗教指導者たちが集まり、会議を開き、平和を祈ることが有効かもしれない。そのために、自分の生命も賭す覚悟がある、宗教指導者たちがいればの話だが。