イラク内紛宗派間から民族間へ移行

2008年9月19日

 在イラクのアメリカ軍の一部が、アフガニスタンに移動する、という情報が飛び交っている。アメリカ政府はアフガニスタンの戦況を、好転させることに本腰を入れ始めた、というのがその根拠だ。

 こうしたアメリカ軍の動きは、当然の帰結として、イラク国内の状況を、不安定化させることに繋がる。イラク国内は今まで、主にシーア派とスンニー派の対立が、繰り返されてきていた。現状では、シーア派がイラク政治の主導権を握っているが、スンニー派も譲りはしなかった。

 こうしたスンニー派とシーア派の、権力をめぐる抗争に、クルドは距離を置きながら、クルド地区の安定と発展を図ってきていた。結果的に、クルド地区はイラク国内にあって、例外的に平和と安定が維持され、戦後復興が進められてきていた。

 しかし、ここにきてイラク議会で、イラクの地方選挙法が討議されるようになり、シーア派スンニー派クルドが、三つ巴となって、利害を争うようになってきている。特にクルドが彼らのクルド地区の範囲を広げ、アラブ人地域に進出していることが、この地方選挙法をめぐって争点となってきた。

 述べるまでもなく、クルド地区に隣接するアラブ地域では、本来の形に戻し、アラブ優位の地方選挙を行いたい、と考えている。スンニー派とシーア派が、このことで争ってきたが、今ではスンニー派とシーア派が一体となって、クルドに対抗する形になってきているのだ。

 イラクの専門家たちの間では、この変化は「宗派対立」が「民族対立」に変化したのだと評している.スンニー派イラク人もシーア派イラク人も、同じアラブ人であり、イラク人なのだが、宗派が異なるだけなのだ。しかし、クルド人は彼らとは全く異なる、人種民族なのだ。

 結果的に、本来アラブ・イラク人の土地だった、クルドに隣接する地域の奪還のために、スンニー派とシーア派の連帯が、生まれる可能性が、高くなってきている。クルド人たちがこれまでも強くなれたのは、サッダーム体制時代から(湾岸戦争でのイラクの敗北以来)、アメリカに保護されてきたからだ。

クルド地区にはサッダーム政府は、軍事攻撃をかけることも、航空機を乗り入れることも、できなくなっていた(1991年の湾岸戦争後以来)。そうした環境の下で、クルド人たちはアラブ・イラク人を追放し、彼らの支配地域を拡大していた。

イラク駐留アメリカ軍の削減と、イラク政府への治安権限の委譲が進むにつれて、クルド人の立場は苦しいものになっていこう。そのことは当初から想像つくことであった。そのような展開の中で、クルド人が頼れるのは、皮肉なことに、トルコということになるのだ。