東京のラマダン風景

2008年9月18日

 

日本にも、今では多のイスラム教徒が生活していることは、誰でも知っているだろいう。

 彼らはいま、まじめにラマダン月を過ごしている。つまり、断食をしているということだ。日の出前から始め、彼らは日没まで、食事も水もタバコも口にしないのだ。

 そうしたラマダン月には、スラム教徒が開いている多くのイレストランが、料理の種類を工夫したり、イスラム教徒へのサービスを行っている。昨夜行った六本木のペルシャ・レストラン・アラーデインでは、断食明けのイスラム教徒たちに、無料で夕食を提供しているのだ。

 もちろん、この無料の夕食は、お金の無いイスラム教徒に対してであり、金のあるイスラム教徒たちは、代金とは異なる寄付(タバッロアート)をすることになる。いつもの会計の場所には、タバッロアートの箱が置いてあり、寄付金をそこに入れるのだ。

 見ていると、平均して1000円を置いていく人が多いようだ。確かに、ランチのときもビュッフェの値段が1000円であり、ほぼ同じような料理が出るのだから、1000円でいいのだろう。感心なことに、ほとんど全員が、寄付をおいていくのだ。というよりは、金を置かないで出て行く人を、見なかった。

 残念だが、最近の日本人は食事の料金がただで、寄付の箱があったらどうするだろうか。ただ食いする人が、意外に多いのではないだろうか。あるいはどう考えても、足りない金額を、置いていく人が、多いのではないだろうか。

 日本人には恥とか互助の精神が、どうも足りなくなってきているような気がする。以前に、日本の議員団がトルコを訪問したとき、私が彼らをトルコ人も友人に紹介したところ、トルコ側の友人たちが歓待してくれたのだが、日本の議員先生たちは、あまり感謝しているふうには見えなかった。

 国会議員は普通の日本人よりも、恥も外聞も無いのがうりなのだろうか。これでは次に、日本人を外国人に紹介する気に、なれなくなるではないか。

 私も食事をし、お茶を飲み1000円を寄付してきた。寄付とは気分のいいものだ。同じ金額なのに、何かいいことをしたような気分になれるからだ。

 新宿にはトルコ料理の店が多いが、ここでもラマダン中は、料金を安くしてくれる場合が多い、私がトルコ人の友人をボスポラスハサンというレストランに招待していって、会計の段になると、決まってオーナーがだいぶ割り引いた値段を言ってくる。「安い」と言うと「ラマダンですから」と微笑み返してくる。なんとも気分がいいではないか。

 日本人は宗教心を取り戻すべきだ、とまでは言わないが、少なくとも「お祭り」ぐらいは取り戻すべきではないか。ラマダン月が来るたびに、イスラム教徒たちは人生を楽しんでいると思えてならないのだが。