トルコのギュル大統領が、アルメニアを訪問した。隣国同士でありながら、これまでトルコとアルメニアとの関係は、極めて不自然なものとなっていた。
ギュル大統領のアルメニア訪問は、1991年のアルメニア独立以来のものだった。トルコとアルメニアとの関係が悪かったのは、第一次世界大戦時にトルコ軍が大量のアルメニア人を虐殺したということが遠因であった。
(アルメニア側の主張では、トルコ軍によって虐殺されたアルメニア人の数は、150万人ということだが、この虐殺には、トルコ軍だけではなく、クルド人やアルメニア人、ユダヤ人も関与しているという説もあり、いまだに真相は解明されていない。早晩トルコとアルメニアが、合同調査委員会を設置しこの問題の真相解明に動くだろうと思われる。)
最近では、1993年に起こったアゼルバイジャンとアルメニアとの戦争で、アルメニアがアゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフを占領してして以来のものだった。このことはアゼルバイジャンと連帯しているトルコを激怒させ、トルコはアルメニアとの国境を閉鎖していたのだ。
しかし、ここにきてアルメニア・サイドから動きが起こった。それはワールド・カップ・サッカーの予備選が、アルメニアの首都エレバンで、トルコ・アルメニアが対戦することになったのがきっかけだった。この機会を、アルメニアのサルキシヤン大統領は逃さず、トルコのギュル大統領にサッカーの試合を見に来ないかと誘ったのだ。(サルキシヤン氏が大統領に当選したとき、最初に祝意を伝えたのはギュル大統領だった)
このサルキシヤン大統領の呼びかけを、ギュル大統領は快く受け入れ、今回の訪問となった。訪問に先駆け、ギュル大統領がアルメニア人虐殺の記念碑を訪問するのか、といった話もあったが、虐殺や政治に絡んだ話し合いは、表向きまったく持ち出されなかったということだ。
しかし、今回のギュル大統領の訪問を機に、アルメニア側はトルコとの関係を正常化したい、と強く望んでいたようだ。だからこそ、サルキシヤン大統領がサッカー応援を口実に、ギュル大統領を招待したのであろう。
トルコ側があまりにもあっさりと、サッカーの試合だけに、今回の訪問の目的を絞ったことから、サルキシヤン大統領はギュル大統領に対して、ナゴルノ・カラバフ問題を話し合おう、と言い出したほどだった。しかし、サルキシヤン大統領はギュル大統領に対し、アルメニア人虐殺問題については、一切持ち出さなかった。
このサルキシヤン大統領の提案に対し、ギュル大統領は「今回はサッカーを楽しみましょう。」とさりげなくナゴルノ・カラバフ問題を、話し合うことを断っている。したがって、今回のギュル大統領の歴史的アルメニア訪問では、何の共同宣言も共同記者会見もなされなかった・
そうは言うものの、今回のギュル大統領のアルメニア訪問の裏には、幾つもの重要な問題が秘められている。アゼルバイジャンの一部からは、ギュル大統領の今回のアルメニア訪問は、アゼルバイジャンに対する裏切りだ、という非難も出たが、実際には、アゼルバイジャン政府との間に、トルコ側はアルメニア訪問について話し合っており、アゼルバイジャン側から了解を取り付けていた。
いったい、今回のギュル大統領のアルメニア訪問は、今後どのような成果を、挙げていくのであろうか。アルメニア側からすれば、今回のギュル大統領のアルメニア訪問は、アルメニアを陸の孤島から解放し、ヨーロッパへの通路を開くことにな繋がる。
そればかりではない。今回のギュル大統領のアルメニア訪問は、アゼルバイジャン・グルジア・トルコを結ぶパイプ・ライン(BTC)にロシア軍の侵攻で、不安が沸いたことから、アゼルバイジャン・アルメニア・トルコ(BEC)という、新たなパイプ・ライン・ルートを構築するこという、構想があってのことであろう。
もちろん、トルコはグルジアの持つ脆弱性に、以前から気がついており、アルメニアとの関係が正常化した段階では、アルメニア経由のパイプ・ラインの新たなルートを、構築することを以前から考えていたのであろう。
たとえグルジアが、今後も安全なガス・石油ルートであり続けたとしても、アルメニアを通過するパイプ・ラインはあった方がいいに決まっている。安全上、二つのルートが確保されていることは望ましいし、ロシア、中央アジアからのガス・石油の大量輸送を考慮した場合、決して二つのルートが出来ることは、無駄ということはあるまい。
アゼルバイジャンにしてみれば、トルコがナゴルノ・カラバフ問題を解決してくれ、自国の石油がアルメニアを経由して、問題なく欧米市場に届けられるのであれば、さしたる問題はあるまい。
ギュル大統領は今回のアルメニア訪問を、サッカーの応援にだけ絞って見せたが、外交官レベル、外務大臣レベルでは継続して「完全な正常化が交渉される。」見通しになっている。9月末には国連でトルコとアルメニアが再度会議を持ち、10月にはトルコがアルメニアのサルキシヤン大統領をサッカーのリターン・マッチに招待することになっており、サルキシヤン大統領はこの招待を快く受け入れている。
お見事の一言に尽きる、トルコの外交的勝利といえよう。それに引き換え、わが国のありようは、漫画としか言いようがない。何時までこんなくだらないいことを、政治家たちは演じ続けているのだろうか。