イランの核濃縮に関する頑なな対応は、欧米諸国を激怒させている。EU主催の会議には、イランのサイード・ジャラーリ代表が、たった二枚の紙切れを持って来たに過ぎなかったと語り、ライス国務長官も、イランが会議に真剣でなかったと非難している。
この非難の後に続いた言葉が問題だ。イギリスのブラウン首相はイスラエルの議会クネセトで演説し「自分はイスラエルの友人であったし、これからもそうであり続ける。イランを放置するわけには行かない。」といった内容の発言している。
ライス国務長官も「イランに与えられたのは二週間だけだ。」と語り、この二週間後に、イランに対しアメリカが採る制裁を警告している。
共和党の大統領候補マケイン氏にいたっては「ホロコーストを繰り返してはならない。」と声高に唱えている。
問題はこれらイスラエル支持の発言が、異常としか言いようがないほどまでに、興奮したものであり、劇場的なのだ。
これではイランに対する、アメリカの軍事攻撃は必死であり、その結果生まれるであろう、多数のイラン国民の犠牲も、世界経済の破滅も、全てはイスラエルを守る、ユダヤ人を守るためのもの、ということになってしまいはしないかということだ。
アメリカによるイランに対する攻撃が、短期間で終わり、イランのホメイニ体制(ベラヤトファギ)が崩れ、アメリカが唱えるように、イランが民主的な国家に生まれ変わるのであれば、あるいは万々歳なのかもしれない。
もしイランに対する攻撃が、アメリカの予想とは異なり、長期化し、アメリカ側にも大きな被害が発生し、戦争が原因で石油の価格が高騰し、それが長期に及んだ場合、世界経済が大きなダメージを受けるとするならば、その責任の追及は、全てユダヤ人とイスラエルに向かうのではないか。
イランの核開発はイスラエルにとって、確かに最も大きな不安であろう。しかし、だからといって白黒の結論を出す戦争は、避けるべきではないか。悪い表現が許されるならば、懲罰的攻撃でとどめておくべきだということだ。
誰もが予測できるように、イランはもし戦争が始まれば、レバノンのヘズブラやパレスチナのハマースに対して、イスラエルに対する攻撃を促すだろう。同様に、イラクのシーア派に対しても、アメリカ軍に対する攻撃を、強化するように呼びかけるだろう。
一部ではあったとしても、ヨーロッパやアメリカ国内のアメリカ、イスラエルの権益に対する、テロ攻撃も予測されよう。そしてその動きは、イスラム諸国にも伝播するのではないか。
戦争は常に予想とは異なった方向に向かうものだ。そのことを頭に入れて、アメリカやイスラエルには行動してもらいたいものだ。