イラク国内の混乱が続く中で,一番危険な状況におかれていたのが,パレスチナ人だった。サダム体制の時代に,イラクに移住し、仕事についていた人たちだ。彼らはイラン・イラク戦争時もその後も,苦しい経済状態のイラクで,歯を食いしばって生活してきた。
そして,その後に起こったアメリカ軍による,イラク攻撃とその後は,これまで彼らが経験をしたこともない状態に置かれた.強奪,強姦,殺戮行為がイラク人によって,パレスチナ人たちに行われたのだ。
このため、パレスチナ人たちはシリアとイラクの国境地域に逃れ、シリアからパレスチナ、ヨルダンへの移動を望んだが、シリア政府は彼らに対して、入国を認めなかった。それは、これらのパレスチナ人が、シリアに定住することを嫌ったからだ。シリアにはヤルムーク・キャンプという、古くから大規模なパレスチナ難民キャンプがある。
ヨルダン政府も、この問題については口をつぐんでいる。現在でも、ヨルダンの居住者の70パーセント以上が、パレスチナ人であることから、出来るだけパレスチナ人の入国と定住を、認めたくないということであろう。
しかし、イラク・シリア国境のパレスチナ難民が居住している場所は極めて悪い状態でありこれ以上放置できなくなったということであろうか。国連難民帰還が彼らを別の場所に移住させようと考え始めた。その候補地がスーダンの首都ハルツームだということだ。
イラク・シリア国境のパレスチナ人の数は400人だということだが、それすらもアラブ諸国は、受け入れようとしていないのだ。これがアラブの現実なのだ。イラク・シリア国境で苦しい生活を続けている、パレスチナ難民の問題解決に、パレスチナ自治政府が積極的に動いている、という話は聞こえてこない。