上手の手から水が漏れるイランの危険性

2008年7月 9日

 イランの核の濃縮をめぐる問題で、イランのアハマド・ネジャド大統領とラリジャニ国会議長の間で、綱引きが起こっているようだ。

 先週末に、モッタキ外相は、ウラニュームの濃縮を停止するむねのメッセージを、EUのソラナ氏に伝えたが、そのすぐ後で、イラン政府がこれを否定する内容の発表を行った。その内容は「イランには核開発をする権利があるので、今後も継続して核開発を進める。」というものだった。

 確かに、イランには核開発を継続する権利があろう。しかも、それが平和的な目的であり、あくまでも発電を目的としたものであれば、誰もこれに反対する権利はなかろう。

 しかし、どうもこのイラン政府の発表なるものが、その正当性の主張ではなく、イラン国内の権力間闘争から出てきたものではないかと思えてならない。イランにしてみれば、無鉄砲とも取れるアハマド・ネジャド大統領の強力な指導で、ウラニュームの濃縮施設が完成し、ある程度の量が濃縮できた。

 しかし、アハマド・ネジャド大統領の強硬路線は、この辺でひとまず引っ込め、平和路線で行こうというのが、ラリジャニ氏の国会議長登用ではなかったのか。この国会議長のポジションは、イランの国内政治においては、大統領と並ぶ要職だということだ。つまり、大統領を批判できる立場だということだ。

 そのラリジャニ氏が、モッタキ外相を後ろから支援し、今回の濃縮停止を発表させたのであろう。もちろん、ラリジャニ氏の後ろには、宗教界の最高権威であり、イランの最高実力者である、ハメネイ師がいることは当然であろう。

 しかし、こうしたイランの国内政治に対して、アメリカやイスラエルは怒りを覚えるだろうし、ヨーロッパ諸国も信頼に値しない政府として、イランを見ることになろう。イラン人は長い歴史のある国だと自慢するが、余り手の込んだ(?)ことをすると、かえって危険な思いをすることになろう。

 上手の手から水が漏れるということわざがあるが、イランがそうであって欲しくない。イランの手から水が漏れては、世界の経済が破壊されてしまうのだから。