アメリカにとっては、どうもあまりうれしくない状況が、イラクで拡大しているようだ。アメリカ政府がマリキー首相との間に、昨年11月に基本的に合意に至った、アメリカ軍のイラク駐留に関する地位協定(SOFA)に対し、イラク国民の間で猛反発が起こり、マリキー首相は非常に難しい状況に、追い込まれているようだ。
この問題は、この地位協定がアメリカによる、イラン攻撃と直結する性質のものであるだけに、イラクの各政党や組織は「イラクをイラン攻撃のための、アメリカ軍の基地にするな。」と主張し始めているのだ。
全くその通りであろう。イラクはイランと8年間にも及ぶ、長期間の戦争を経験してはいるが、国民の60パーセント以上が、イランと同じシーア派であり、サダム体制時代には、多くのシーア派のリーダーが、イランに亡命してもいた。したがって、イランは大恩ある国家になっているのだ。
アメリカ軍のイラク侵攻後も、イラクのシーア派の何人ものリーダーが、イランを訪問し援助を取り付けているし、反政府の資金と訓練と武器を、今でもイランから受けているのだ。
そうなると、アメリカの保護下にあるとはいえ、マリキー首相はイランを無視できないことになる。先にバスラで起こった戦闘では、多くのイラク軍の将兵が戦線離脱したため、マハデイ軍に対し政府軍が不利になり、危険な状況に追い込まれもした。
そこで困り果てたマリキー首相は、イランに仲介を依頼し、何とか面子を保地、イラク軍をバスラから撤退させたといういきさつもある。
アメリカとの地位協定をめぐり、イラク国民の政府に対する反発が強まり、他方では、アメリカの強引な地位協定批准要求に対し、マリキー首相は困惑し、今回もイランに相談に行ったということであろう。
こうなると、アメリカは信頼するマリキー首相が、実はイランの思惑のなかで動いているということになり、何処まで信頼を置いていいのか、分からなくなろう。当座は彼に代わる好都合な人物がいないことから、マリキー体制を支援して行こうが、何時それが急遽変更されるかは分からない。
アメリカがどう本音をごまかそうとも、イラクに恒久基地を確保したいということは事実であろう。イランだけではなく、中央アジア諸国、トルコ、シリア、湾岸諸国、それにロシアに対しても影響力を確保していく上では、イラクは最も好都合な位置にあるのだ。
マリキー首相はこのアメリカの意向を、何処まで受け入れられるのか、述べるまでもなく、イランはマリキー首相に対して、地位協定を結ぶな、と圧力をかけるだろう。もし、マリキー首相がイランの意向を受け入れないのであれば、マハデイ軍を始めとするプロ・イランのイラク各派が反政府、反アメリカ軍で立ち上がるということだ。
アメリカにとって、もうひとつの不愉快な変化が、イラク国内で起こっている。それはサダム時代に、イランとの戦争を記念して、バグダッドのバーブ・アルモアッザム地区に建てられた反イランの銅像が、サーベル・アルイッサーウイ・バグイダッド市長の意向で撤去されることが決まったのだ。その後には、イラク・イランの平和的関係を祈念する銅像が建つことになるようだ。
アメリカはいま、一体誰のためにイラク戦争をしたのか、分からなくなってきているのではないか。もちろん、アメリカがサダム体制を打倒する戦争を始めたのは、アメリカの国益のためであったことは間違いないのだが。
しかし、いまとなっては、ほとんどのイラク国民がアメリカに対し、敵意を強めるようになっている。アメリカン・ドリームならぬジャパン・ドリーム(日本支配はよかった)には、なかなかなりそうもないイラクということだ。