中東の石油ガス産出量大幅増大必要

2008年5月31日

 石油やガスの消費量が、年々増加傾向にあり、それが最近のエネルギー価格高騰の基本的な原因だとされている。現段階では、生産量と消費量との間には、ほとんど差はなく、特別の問題はないようなのだが。

 しかし、石油鉱脈の新規発見は、期待できないという見通しから、先行き石油不足、ガス不足が起こる、という見通しがもっぱらだ。そのため、先物買い的な投機現象が起こり、エネルギー価格を暴騰させているようだ。

 こうした状態が続いて行くと、結果的には、石油やガスの輸入ができなくなる国が出てくるだろう。既に、世界の貧困国では、エネルギーの輸入が困難になり、そのことがあらゆる面に、影響を与え始めている。

 そこで、アメリカは世界の石油やガスの生産を増やすために,油井やガス田のメンテナンスを、本格的に手がける必要に、迫られている。現在の段階では、幾つかのエネルギー生産国は、自国の技術で油井やガス田の、メンテナンスを行っているが、技術的に限界に達しているようだ。

 アメリカはエネルギー生産諸国に対して、民主化と政治の安定を確保しなければならないようだ。それ無しには、アメリカ企業がエネルギー生産諸国に対し、莫大な投資をすることは危険になるからだ。

 アメリカはこのため、エネルギー生産諸国に対し、民主化を進めるよう強く助言している。その上で民生を安定させ、安定した体制を実現し、大規模投資を行い、油井ガス田のメンテナンスを進め、エネルギー資源の増産を図るということのようだ。

 この目的のために必要なことは、何でもやるというのが、アメリカの考えであろう。先にエジプトのシャルム・エルシェイクで行われた、WEF(世界経済フォーラム)会議で、ブッシュ大統領は「民主化」の必要性を強調したのは、このためであろう。

 こう考えると、アメリカは民主化が進まないために、社会不安が懸念されるエネルギー生産国に対しては、強力な指導を行い、それが実現できない場合には、体制を崩壊させることも、ありうるということであろう。イラクは見せしめとしての、最初のケースであったと思われる。

 アメリカは最近になって、エジプトやサウジアラビアに対して、厳しい視線を向け始めているが、それはこれらの国々が、民主化を進めていないことに、起因しているのではないか。

 うがった見方をすれば、現在起こっている石油価格の高騰は、巨額な資金をエネルギー生産諸国に、集めるためのものかもしれない。その結果、これらのエネルギー生産諸国は、アメリカの圧力の下に、油井やガス田の改良、メンテナンスを行うための、資金を手に入れることが出来る、ということではないか。

 一説によれば、このメンテナンスには、62兆ドルが必要だということだ。現在の状況で産油諸国に資金が集まれば、その金利だけでも莫大な金額に達する、ということのようだ。

 さて、そこでアメリカの言うことを聞かない、大エネルギー生産国であるイランの将来は、どうなるのだろうか。多分に、アメリカは力づくでも、イランをこの計画に沿わせる、ということではないか。

つまり、イランのイスラム体制の性格を、革命的に変革させるか、戦争で体制そのものを打倒するか、あるいは、イラン国内で反政府運動を活発化させ、イラン国民自らの手で、体制を打倒させるかだ。

 これからエネルギー生産諸国は、自国の体制維持を考えるのであれば、アメリカの意向に十分に沿わなければならない、ということではないか。しかし、それは同時に体制そのものを、不安定化させることでもある。あるいは、それがアメリカの望む、民主化へのステップなのかもしれない。

 アメリカの主張する民主化は、エネルギー確保が真の目的ではないか。しかし、そのことに反対すれば、世界のエネルギー供給は、近い将来に、非常に不安定かつ高価格になることを、懸念しなければなるまい。

ちなみに、2030年の段階では、現在の消費量よりも50パーセント多い、11800万バーレル/日の石油が消費されるという見通しだ。

 独裁者サダム体制を打倒するために、始められたイラク戦争以来、イラクでは121万人以上の国民が、犠牲になったと言われている(公式数字でも10万人を超えている)。

 アメリカのイラク戦争を非難する声は、世界中で高まっているが、アメリカが考えるように、将来エネルギー資源の生産が、減少していくことを考えると、アメリカの進める乱暴とも思える戦略が、あるいは必要なのかもしれない。

それ無しには、近い将来エネルギーを、ほとんど輸入できなくなる国が、世界中で増加して行き、それらの国々では、飢餓による死亡者が、何百万人何千万人と出るかもしれないのだ。

しかし、将来の悲劇を解消するためであろうとも、アメリカの現在進めている、軍事力行使を主体とするエネルギー戦略には、心情的に賛成しかねるのだが、そういう考えは、少女趣味ということであろうか。