レバノン内戦再開か

2008年5月11日

 アラブ諸国はいま多くの問題を抱えている。政治的な不満がどんどん拡大していくなかで起こっている、経済的不満の拡大は、具体的にはインフレという形で、庶民の生活を窮地に追いやっている。

 アラブ各国はいつ大衆が権力に対して、牙をむいて襲いかかって来るか、気が気ではあるまい。それほど状況は緊迫していると考えるべきであろう。

 エジプトにもう40年近くも住んでいる、私の知人がまもなく戦争が始まる、しかもその戦争は、多くのアラブ諸国とイスラエルとの戦いになる、というのも無理からぬことだ。

 アラブ各国政府は、国民の不満を外部に向けるために、戦争という切り札をちらつかせながら、国民の権力に対する敵意、不満を外部に向けようとするからだ。アラブ諸国の報道のなかに、欧米諸国やイスラエルに対する、厳しい解説記事、論説記事が目立つのはそうした背景からであろう。

 アラブの政府が、国内的不満の解消に使う、もう一つの手段は、アラブの国のなかの、政権が弱体な国に関与し、内戦を起させることだ。その国の各派に対し、それぞれのアラブの国が援助を送り、戦闘をさせることにより、悲惨な状況を作り出すのだ。

 それを傍観する側の、アラブの国々の大衆は、自分たちのほうが冷静であり、恵まれていると、内戦発生国の報道を見ながら考え、不満の度合いが下がるということだ。

 レバノンでは、大統領不在の状態が昨年末から、いまだに続いているが、レバノン各派の間で、折り合いがつかないのはそれが原因なのだ。述べるまでもなく、レバノン国内の各派はそれぞれが持つ、スポンサーの意向を受けながら、行動を決定している。彼らレバノン人の意思で、レバノン人同士の合意によって、この国内緊張状態を解消することが出来ないのは、そうした理由があるからなのだ。

日本のような平和に慣れた国の人たちからみれば、15年も内戦を続け全てのものを破壊し、多くの犠牲者が出たのだから、平和に対する希求心が日本人よりも強く、平和が実現しやすいだろう、と考えるのは大間違いなのだ。

今年のレバノンの夏は、既に暑さが始まった。既に30人近い戦死者が出ている。そして戦争は、現在のレバノン人にとっては、数少ない収入源であり、ビジネスのタネなのだ。

イラクで戦闘員をやっている人たちも、警察や軍隊に入っている人たちも、それが生活の手段なのだ、ということを忘れないで欲しい。それがアラブの現実なのだ。