トルクメニスタンの国際教育意会議に出席して

2008年5月 7日

 トルクメニスタンの首都アシガバドで、523日に開催された教育会議に参加した。会議にはヨーロッパ、ロシア、東欧圏、東南アジア、極東からは韓国と日本、それにUNESCOのイラン駐在の中国人が参加した。

 会議を通じて感じたことは、各国の代表がそれぞれに自国や自社の教育システム、機材などの売り込みに、真剣であったということだ。イギリスの代表は、自国の教育システムが、いかに優れているかについて、能弁に語っていた。しかし、隣に座っていたトルクメニスタン人の感想は、このイギリス人が熱弁を振るったほどの評価を、受けてはいなかったように思う。

 私が感心したのは、イギリスがシステムを売る国だということだ。つまり教育の機材ではなく、教育をするソフトを売りこんでいるということだ。イギリスは教育のシステムだけではなく、空港の管制システム、国際法などといったソフトを、いまでは主な輸出品と考えているのであろう。

 そうは言っても、やはりトルクメニスタンのような発展途上の国にとっては、教育機材などハードな機械を目にするほうが、興味深いのではないか。日本には教育の進んだソフトを組み込んだ、教育用ハード機材は存在しないような気がする。したがって、これら教育のハードな部門は、韓国やトルコに任せたほうがいいのかもしれない。

 会議で私が話したのは、出発前にお伝えした、寺子屋や教育勅語であり、教育の一般化、識字率の向上、そして平和な環境、学問の意味付け、などが最も重要だ、という内容だった。

私の発言の後で、会場からは寺子屋に関する関心が寄せられたが、一番興味を抱かれ好感を持たれたのは「アッサラ-ムアレイコム、私は日本人のイスラム教徒です」という部分だったような気がする。同じ宗教徒であるということが、何よりも民族間の溝を埋めてくれるのであろう。

 国際会議に何度も参加して感じたことは、英語の上手下手よりも、好意を持って真摯に対処することのようだ。

通訳とはとても言えないレベルなのだが、私の通訳に当たってくれたトルクメニスタンの若者は、もっぱら彼の日本語力を高めることに関心があったようで、少し迷惑な感じだったが、彼は別れ際に寂しそうに「また是非会いたい」と語ってくれた。

今回も感じたのだが、日本が会議に参加することは、それだけで開催国から大喜びされるということだ。開催国は日本が参加すると、欧米ではないアジアの先進国から参加してくれたということで、会議の格が上がると感じるようだ。しかし、残念なことに、日本大使館からは専門調査員が、開会式にちょっと顔を出しただけだった。つまり、日本の大使館には外交活動というものは、ほとんどないということのようだ。

トルクメニスタンをはじめとする開発途上国では、国際会議は外交の場であり、お祭りであり、会議の場なのだ。こうした機会は現地の高官と親しく語りやすい絶好の場なのだが、、、。