シリアのアサド家は、先代のハーフェズ・アサド大統領の時代から、思い切ったことを決断することで知られてきていた。必要とあれば、躊躇なく思い切った手を打つという意味においてだ。
レバノンの首相であったハリーリ氏の暗殺では、シリアの情報機関が行ったものだという認識が、世界的に広がっているが、その情報の一部が、外部に漏れ始めている。
父ハーフェズ・アサド大統領は彼の兄弟である、リファアト・アサド(元副大統領)との二人三脚で国内治安を維持してきたが、父親の後継となったバッシャール・アサド大統領も、義兄弟のアーセフ・シャウカト氏との二人三脚を組んで、治安の維持を図ってきた。
しかし、ここに来て、レバノン首相であったハリーリ氏の暗殺は、アーセフ・シャウカト氏によるものではないか、というイメージを、バッシャール・アサド大統領は作り出そうとしているのかもしれない。
元シリアの副大統領であり、現在フランスに亡命しているアブドルハリーム・ハッダーム氏の語るところによれば、ハリーリ首相暗殺の後から、アーセフ・シャウカト氏とバッシャール・アサド大統領の間には、冷たい隙間風が吹き始めていたというのだ。
そして今回、レバノンのヘズブラの幹部ムグニエ氏の暗殺では、シリアの犯行説が浮かんでいたが、アーセフ・シャウカト氏に対し、バッシャール・アサド大統領が自宅軟禁と、地位の剥奪ということで、ケリを付けようとしているのかもしれない。
ムグニエ氏がシリアのダマスカスで殺害された後、アラブ世界ではお決まりのモサド犯行説が広がっていたが、日本の一部でも同様の推測がなされていた。
しかし、イスラエルといつ戦争が始まるか分からないような、緊張状態にあるシリアの首都ダマスカスで、いくらイスラエルのモサドといえども、ムグニエ氏の車に爆弾をセットすることは、不可能であったと思われた。
アーセフ・シャウカト氏に対するバッシャール・アサド大統領の今回の対応は、シリア国内でも、アラブ諸国でも、世界のなかでも、納得のいくものとなろう。この措置で、アーセフ・シャウカト氏は、ムグニエ氏暗殺の首謀者としてだけではなく、確実にレバノンの元首相ハリーリ氏も暗殺した人物として、認識されるのではないか。
それだけいまシリアは欧米やイスラエルから、追い込まれているということであろう。