AMDAとオスマン帝国

2008年3月30日

 岡山市で講演をしてきた。これは岡山トルコ文化センター設立15周年記念行事で、多くの団体が後援して、開催されたものだ。その後援組織のなかには、岡山大学も加わっていた。

 岡山大学がトルコの組織と深い関係にあるのは、これまで多くのトルコの青年たちが、この大学で学び、修士や博士号を取得し、日本とトルコで貢献しているからであろう。

 さてこの講演会で私ともう一人講演をしたのは、AMDAという国際緊急医療支援組織を設立した、菅波さんというお医者さんだった。

 彼がどんな話をするのかと耳をそばだてて聞いていたところ、ドクター菅波は、AMDAが今後長期にわたって活動していけるために、世界史のなかから長期間栄えた国家を探したところ、オスマン帝国だったというのだ。

 そのオスマン帝国が何故長期間に渡って継続したかを調べると、「寛容」と「公正」と「ノブレスオブリージュ=高貴な者の義務」が、オスマン帝国にはあったというのだ。

そこで、ドクター菅波は彼の組織AMDAも、これらの要素を持てば、長期にわたって活動を続けられる、と考えたというのだ。

 「賢者は歴史に学び」という言葉があるが、まさに彼はその典型であろう。別れの挨拶を交わしたときドクター菅波はうれしいことに「貴方との関係は続けたい」と私に言ってくれたことだ。もちろんそれは私も望むところだ。久々に出来る男に会ったという爽快感が心の中で広がった。