イラクで起こった悲しい話

2008年3月14日

 イラクでは毎日のように、一般庶民が殺され、その数は最近になって再度増え二桁の、しかも、30-50人といった人数に達する日も、少なくなってきている。More...  そうしたなかでは、人間が一人や二人死ぬことは、取り立ててニュースになるわけでもなければ、イラク国民も何の感情も示さないのであろう。もちろん、アメリカ兵にしてみれば、虫が踏み潰されて死んだ、程度のことであろうか。

 そういうニュースに慣れ切っている私にすら、悲しいと感じるニュースが伝えられた。それは、イラクのデヤーラという地域で、道路際に立っていた10歳の少女が、アメリカ兵に撃ち殺された、というニュースだった。  その場所は、以前に路肩爆弾が爆発し、アメリカ兵に犠牲者が出た場所だっただけに、アメリカ兵は神経質になっていたのであろう。

 少女のしぐさが、イラク人テロリストに、何らかのシグナルを送っているのではないか、と勘違いしたアメリカ兵は、とっさに彼女を撃ち殺したというのだ。もし、この少女が「ここは以前爆弾でアメリカの兵隊さんが死んだ場所だよ、気をつけて」ということを指し示していたのであったとすれば、これ以上の悲しい出来事はあるまい。  戦争という異常な状態は、多くのアメリカ兵を精神異常者にし、何の罪もないイラク人を、多数殺させている。そして、イラク人も憎しみだけで、アメリカ兵を殺している。このばかげた戦争、殺人が続いている原因が、石油の確保なり、ドルの価値の維持であるとするならば、なんと人間とは愚かな存在であろうかと思えてならない。

 せめて、イラク戦争の傍観者であるわれわれにも、納得の行く戦争継続理由を教えて欲しいものだ。しかし、よく考えてみると、日本人はこの戦争では傍観者ではなく、当事者なのだ。戦争資金の多くが、日本国民の税金でまかなわれているのだから。そのことを忘れてはなるまい。