アメリカがイランに対して、軍事攻撃をかける可能性は、大分低下したというのが、大方の専門家の見通しだ。しかし、そのことが逆に、イランの体制にとって、不安な材料となり始めているのではないか。
歴史上証明されていることだが、どこの国も国内に問題を抱えたとき、外部に敵をつくり、国民の目をそらし、意思を統一し、危機から脱出しようと考える。あるいは外国を占領支配し、そこから利益を得ることによって、国内的な問題を解消しようとする。
イランは1979年に起こった、ホメイニ師を中心とする革命で、パーレビ国王体制を打倒したが、その後、国内では権力闘争が起こり、危機のなかでは、イスラーム教の法(シャリーア)が、絶対的権威として力を発揮し、宗教者が権力を掌握する形となり、何とか持ちこたえることが出来た。 その後には、イラクとの戦争が勃発し、8年間もの長きに及んだことにより、イランの宗教者による支配体制(ベラヤト・ファギ)を強化し、確固たる体制を継続することが出来てきた。
そして、その後にはアメリカとの間に起こった、核問題を中心とする緊張状態が継続し、イランのベラヤト・ファギ体制は、安定して継続することが出来てきた。つまり、これまでイランは外部に敵を持つことによって、体制の維持に成功してきたといえるのではないか。 もちろん、イランはそればかりではなく、ハタミ師のような穏健派(?)とみなされる人物を、大統領に擁立したり、アハマド・ネジャド氏のような、、強硬派を大統領に立てたりして、外国との関係調整を図ってきてもいる。
問題は、イランはいま、アメリカとの緊張関係が和らいだことにより、国民が一体となって対抗するべき相手(敵=大サタン))が、外部に存在しなくなってしまった、ということだ。 この状態は、これまで押さえ込まれていた、国民の体制に対する不満が、一気に表面化してくるという、危険性をはらんでいるということだ。現実に、最近イラン国内から、極左の学生グループが体制批判を強めている、という情報が流れてきている。
これらの学生は、政府がテヘラン大学で行う恒例の金曜礼拝に対抗して、政府批判の集会や、デモを行っているのだ。しかも、この動きは、単にテヘランだけではなく、地方都市でも始まっているようだ。 ハメネイ師を中心とする、ベラヤト・ファギ集団(権力集団)は、最近になって、強硬派のアハマド・ネジャド大統領にブレーキをかけ、西側受けのいいラリジャニ氏を、前面に押し出そうとし始めているようだ。しかし、そのことは、少しでも舵取りを間違えると、体制にとって大きな不安を呼び込む、危険性があるのではないか。
そこで、イランの権力筋が体制の安定を維持していくために、採るであろう対応の可能性について考えてみると、以下のようなことが浮かんでくる。 1:危険を承知の上で穏健化して行き、西側との対話を拡大していく。
2:新たな緊張を作り出して体制の安定を図る。 A)PJAKとの本格的な戦闘展開。
B)湾岸諸国への圧力強化。 C)イスラエルへの敵対姿勢強化。
D)国内のイスラーム法遵守強化。 1の穏健化路線について、イラン政府は現在試みつつあるが、それは危険性の高いものではないのか。現在国内に存在知る各種の反体制派、他民族の反体制の動き(バルーチ族やアゼルバイジャン人、アラブ人、クルド人など)も警戒しなければなるまい。
この方式を進めていくためには国内的に失業問題を解決し、インフレを抑制していくこと、報道の自由を認めること、などが必要であろう。まさに、安全弁の微妙な開閉調整が必要であろう。 2の選択のうち(A)のPJAK(イランのクルド反体制派)問題はそれほど深刻なものとは国民の間で認識されていないため、PJAKに対する圧力の強化(軍事攻勢)は、国民的な意思統一の核にはなり得まい。
したがって、イランの体制派が選択するとすれば(B)ということになるが、湾岸諸国に対する圧力(軍事的脅威を与える)は、湾岸諸国全体ではなく一部の国に対してなら可能でも、それでは国民の意思をまとめ切れないかもしれない。 (C)のイスラエルへの敵対姿勢強化は、イラン自身が行うものと、レバノンのヘズブラや、パレスチナのハマースなどにやらせるものと3通りあろう。イスラエルがイランを単独で攻撃する可能性は、現段階ではあまり高くないのではないか。
イスラエルは国内的に四分五裂しているために、イランに対しては警告を発することは出来ても、軍事攻撃まで実行することは、難しいと考えるべきであろう。もちろん、ブッシュ大統領がイスラエルの先制攻撃を支持し、それに続いて、アメリカがイラン攻撃をする、というのであれば話は別だが。 最後に考えられるのが、イラン国内でのイスラーム法の遵守強化だ。これは容易に実行できる方法であろう。しかし、それはいまイランの体制派が採り始めたばかりの穏健路線を、全く逆の方向に向かわせることであり、体制の不安定さ、混迷を国民の前にさらけ出すことになりかねない。
イランの体制はいま、アメリカの脅威から解放され、新たな脅威として、イラン国民の間に広がる、体制への不満に直面せざるを得なくなりつつある、ということだ。あるいはアメリカが意識せずに選択したイラン対応が、イランをして困難な状況に、追い込むことになるのかもしれない。
歴史上証明されていることだが、どこの国も国内に問題を抱えたとき、外部に敵をつくり、国民の目をそらし、意思を統一し、危機から脱出しようと考える。あるいは外国を占領支配し、そこから利益を得ることによって、国内的な問題を解消しようとする。
イランは1979年に起こった、ホメイニ師を中心とする革命で、パーレビ国王体制を打倒したが、その後、国内では権力闘争が起こり、危機のなかでは、イスラーム教の法(シャリーア)が、絶対的権威として力を発揮し、宗教者が権力を掌握する形となり、何とか持ちこたえることが出来た。 その後には、イラクとの戦争が勃発し、8年間もの長きに及んだことにより、イランの宗教者による支配体制(ベラヤト・ファギ)を強化し、確固たる体制を継続することが出来てきた。
そして、その後にはアメリカとの間に起こった、核問題を中心とする緊張状態が継続し、イランのベラヤト・ファギ体制は、安定して継続することが出来てきた。つまり、これまでイランは外部に敵を持つことによって、体制の維持に成功してきたといえるのではないか。 もちろん、イランはそればかりではなく、ハタミ師のような穏健派(?)とみなされる人物を、大統領に擁立したり、アハマド・ネジャド氏のような、、強硬派を大統領に立てたりして、外国との関係調整を図ってきてもいる。
問題は、イランはいま、アメリカとの緊張関係が和らいだことにより、国民が一体となって対抗するべき相手(敵=大サタン))が、外部に存在しなくなってしまった、ということだ。 この状態は、これまで押さえ込まれていた、国民の体制に対する不満が、一気に表面化してくるという、危険性をはらんでいるということだ。現実に、最近イラン国内から、極左の学生グループが体制批判を強めている、という情報が流れてきている。
これらの学生は、政府がテヘラン大学で行う恒例の金曜礼拝に対抗して、政府批判の集会や、デモを行っているのだ。しかも、この動きは、単にテヘランだけではなく、地方都市でも始まっているようだ。 ハメネイ師を中心とする、ベラヤト・ファギ集団(権力集団)は、最近になって、強硬派のアハマド・ネジャド大統領にブレーキをかけ、西側受けのいいラリジャニ氏を、前面に押し出そうとし始めているようだ。しかし、そのことは、少しでも舵取りを間違えると、体制にとって大きな不安を呼び込む、危険性があるのではないか。
そこで、イランの権力筋が体制の安定を維持していくために、採るであろう対応の可能性について考えてみると、以下のようなことが浮かんでくる。 1:危険を承知の上で穏健化して行き、西側との対話を拡大していく。
2:新たな緊張を作り出して体制の安定を図る。 A)PJAKとの本格的な戦闘展開。
B)湾岸諸国への圧力強化。 C)イスラエルへの敵対姿勢強化。
D)国内のイスラーム法遵守強化。 1の穏健化路線について、イラン政府は現在試みつつあるが、それは危険性の高いものではないのか。現在国内に存在知る各種の反体制派、他民族の反体制の動き(バルーチ族やアゼルバイジャン人、アラブ人、クルド人など)も警戒しなければなるまい。
この方式を進めていくためには国内的に失業問題を解決し、インフレを抑制していくこと、報道の自由を認めること、などが必要であろう。まさに、安全弁の微妙な開閉調整が必要であろう。 2の選択のうち(A)のPJAK(イランのクルド反体制派)問題はそれほど深刻なものとは国民の間で認識されていないため、PJAKに対する圧力の強化(軍事攻勢)は、国民的な意思統一の核にはなり得まい。
したがって、イランの体制派が選択するとすれば(B)ということになるが、湾岸諸国に対する圧力(軍事的脅威を与える)は、湾岸諸国全体ではなく一部の国に対してなら可能でも、それでは国民の意思をまとめ切れないかもしれない。 (C)のイスラエルへの敵対姿勢強化は、イラン自身が行うものと、レバノンのヘズブラや、パレスチナのハマースなどにやらせるものと3通りあろう。イスラエルがイランを単独で攻撃する可能性は、現段階ではあまり高くないのではないか。
イスラエルは国内的に四分五裂しているために、イランに対しては警告を発することは出来ても、軍事攻撃まで実行することは、難しいと考えるべきであろう。もちろん、ブッシュ大統領がイスラエルの先制攻撃を支持し、それに続いて、アメリカがイラン攻撃をする、というのであれば話は別だが。 最後に考えられるのが、イラン国内でのイスラーム法の遵守強化だ。これは容易に実行できる方法であろう。しかし、それはいまイランの体制派が採り始めたばかりの穏健路線を、全く逆の方向に向かわせることであり、体制の不安定さ、混迷を国民の前にさらけ出すことになりかねない。
イランの体制はいま、アメリカの脅威から解放され、新たな脅威として、イラン国民の間に広がる、体制への不満に直面せざるを得なくなりつつある、ということだ。あるいはアメリカが意識せずに選択したイラン対応が、イランをして困難な状況に、追い込むことになるのかもしれない。