目立ち始めたユダヤ人のイスラーム再評価

2008年1月 4日

最近、ユダヤ人やイスラエル人(イスラエルにいるユダヤ人)による、イスラーム世界に対する再認識というか、再評価が始まっている。

 彼らは、イスラーム世界がスルタンやカリフによって統治されていた時代に、ユダヤ人がどれだけ自由を保障され、安全を守られていたかを評価している。その延長線上で、イスラーム教徒との対話の機会を増やすべきだ、という主張も増えてきている。

 確かに、トルコがオスマン帝国の時代には、スペインで改宗を迫られるユダヤ人たちの命を救ったのは、オスマン敵国が差し向けた軍艦だった。この軍艦に乗せられスペインを逃れたユダヤ人たちは、後にオスマン帝国内で自由に活動していたし、大臣職にまでも採りたてられていた。

 この歴史的事実が、いままでユダヤ教対イスラーム教の対立構造のなかで、忘れられあるいは無視されてきていた。そのことは、イスラーム世界もユダヤ世界も、宗教より政治が優先していたからかもしれない。

 イスラーム教に対する再評価が行われるなかで、ユダヤ人らしいとでも言うべきなのだろうか。彼らは、ユダヤ人がアラブ世界で暮らしていたときに持っていた財産よりも、イスラエルを建国したシオニズムが与えたものは少ない、と不平を述べてもいる。

 バチカンがユダヤ人のキリストに対する裏切非難をやめ、正常な関係になると宣言して以来、かえってユダヤ教徒キリスト教徒の間には、溝が深まったようだ。物事は問題が解決して冷静になると、真実が見えてくるのであろうか。

 ユダヤ教徒がいま世界の中で置かれている立場が、非常に微妙なことも、ユダヤ教徒によるイスラーム教徒再評価の原因なのであろうが。