苦境の友-イラン大使

2007年12月18日

 12月7日の午後に、突然イラン大使館のモーメニ書記官から連絡があった。12月10日の月曜日に大使館に来て欲しいというのだ。12月11日にはトルコへ出かける予定になっていたのだが、相手には特別の事情があるのだろうということで承諾した。

 10日の午後イラン大使館に出かけると、モーメニ書記官がニコニコしながら迎えてくれた。大使館の地階にある一室でしばらく話をした。話題はアメリカ政府が「イランは2003年に核兵器の開発を断念した」という情報を、何故この時期に発表したのかということがメインだった。

 このアメリカ政府の発表は、非常に大きな意味を持っていた。一番驚いたのはイランもさることながら、イスラエルであっただろう。イスラエル政府は独自の情報を元に、場合によっては単独でもイランの核兵器開発を止める、といきまいたことからも、イスラエル内部の驚きようがわかろう。

 私はモーメニ書記官に対し、イランは今後、アメリカに勝利したという風に振舞うべきではないだろう。湾岸諸国はイランが今後、影響力を拡大してくることを懸念していようから、対話の窓口を拡大し、湾岸諸国に対して友好的な姿勢を示すべきだと語った。

 彼も私の意見に同意した。するとイラン大使が突然われわれの前に現れ、会話に参加してきた。しばらく会話を交わしてから、彼はおもむろに自分が1ヶ月と少ししたら日本を離れると言い出した。

それに加えて、彼は私に心のこもった感謝の意を述べてくれた。しかも、彼は「貴方の組織の活動は本当のシンクタンクだ。日本で最高のレベルのものだ、あなたがこれまで述べてくれた意見は非常に参考になった、感謝している。」というのだ。

 東京財団が数年前から、中東の大使館を中心に、イスラム圏の大使館に対し、日本の状況を解説する勉強会を開催してきた。その中で何人かの大使とは非常に深い関係を築くことができた。

 大使といえども、個人的な悩みがないわけではない。そんな話にも付き合ってきた。実は個人的な会話の中からこそ、相手の気持ちや国のおかれている状況が伝わってくるのだ。人は誰もがその立場とは別に、個人的な感情を抱いているのだから。

 イラン大使はこれからイランを取り巻く国際的な状況は大きく変わっていこう。私は日本が好きだし日本人を尊敬する。だから日本とイランとの関係が強化されていくことを望む。私の気持ちは日本の官僚の友人にも伝えた。私の真意が伝わり、日本の官僚や政治家の皆さんが、刻一刻と変化する世界情勢を正確に把握して、イランへの対応を改善してくれることを望む、と語っていた。

 彼は私以外にも、たくさんの日本人の友人を持っていたようだ。元大学教授でインテリの彼の話には説得力があり、自信に満ちていて聴いていて心地よくさえ感じたものだ。彼の歯に衣着せぬ発言にはらはらして、それは貴方にとって危険な発言ではないのか、と茶化したこともあったが、彼は「外務大臣は私の教え子だよ」と全く意に介さなかった。

 そんな彼ですら、今年の3月4月は本気でアメリカのイラン攻撃を懸念していたようだ。彼が「どうすべきか?」と私に尋ねたとき、私は「トルコを仲介者としてEUとの対話を始めろ。EUと対話をしている間はアメリカも攻撃すまい。」と答えた。

 動きは迅速だった。イランがトルコに仲介を依頼したのは、その会話のすぐ後だった。そして、EUとの対話がまもなく開始した。以来、イランとトルコとの関係は強化され、イランはそれまで受け入れないと思われていた、トルクメニスタンとイラン、トルコとのガス・パイプ・ラインの接続に合意したのだ。

 このことは、アメリカの中央アジア戦略にとって、大きなプラスに働いたものと思われる。誠意のある会話が、思いもかけない好結果を生むこともあるのだというとを、私はイラン大使から教わったようだ。

 テクニックや知識だけではなく、利害のからまない相手の立場に立った誠意のある会話が、国際関係の上でも、最も重要なのではないか。 イラン大使の無事の帰還と、今後の活躍を期待したい。