風と太陽―イラン対応

2007年12月 9日

 風邪と太陽が旅人のコートを脱がす話があった。風が負けて旅人を暖めた太陽が勝ったという話だが、それと同じような状況が、いま中東で起こっているのではないだろうか。

 アメリカがイランに対して振り上げた握りこぶしを、どうやらアメリカでは振り下ろせない状況が増えてきている。イランの核開発に関するアメリカの報告が出されたが、それによると2003年の段階で、イランは核兵器の開発を断念したというものだった。

 この報告がもとで、アメリカ国内はもとより、世界中がイランに対する軍事攻撃の必要を認めなくなってきている。

例外はイスラエルだ。イスラエルはイランがもし核兵器を開発した場合、第一のターゲットとされる可能性が高いからだろう。

 アメリカがイランに対する軍事攻撃を断行しなければ、イランは「それ見たことか、アメリカにはイランに対して戦争を仕掛けるだけの勇気も、経済力も軍事力もないということだ。」と大喜びし、多分に湾岸地域での、発言力を増そうとするだろう。

 先にカタールのドーハで開催された湾岸諸国首脳会議には、イランのアハマド・ネジャド大統領も招待されたが、これは非常に冷静な外交努力であったと考える。湾岸諸国首脳会議がアハマド・ネジャド大統領を招待したということは、湾岸諸国がイランとの対話の窓口を完全に開いている、という意思表示でもあるのだ。

 こうした湾岸諸国の平和的外交努力に対して、アメリカのゲイツ国防相は「湾岸諸国が一体となってイランに対抗する必要がある。」と強調しているが、実に幼稚な判断としか言いようがないのではないか。

 せっかく湾岸諸国がイランとの平和的関係を、構築しようとしているのに対し、その逆を説くことは、湾岸諸国から不快感を持って受け止められよう。

 トルコはイランの通商責任者を招待し、通商拡大と協力を討議している。この方がイランの危険性を抑えるには、最も効果的だと思うのだが。歴史の浅いアメリカには、軍事力しか外交の手段はないのだろうか。