外交とは何かを考えた

2007年11月30日

日本には国家が行う外交と民間が行う外交があるが、どちらが効果的なのかと疑問に思うことがある。 外交とは基本的には、お付き合いでいい関係を構築することであろう。もちろん、それとは異なり、恫喝して自分の側の考えを通すのも外交の一部だ。しかし、力による恫喝外交は、通常の外交がうまくいかなくなったときの手段であろう。

日本の外交官の外国での振る舞いを見ていると、鼻につく場合が多い。えらそうに振舞うことを外交だと思っている人が、意外に多いのではないだろうか。特に途上国を相手にする場合、そうした傾向が見え隠れする。 エジプトで開催された日本とアラブの会議でも、日本の外交官がその能力を発揮した、と思える部分は少ないのではないか。同時に、日本側から出席した財界、学会の代表についても、同様のことが言えそうだ。

日本の財界人が外国、なかでも途上国での講演で失敗するのは、何時の間にか自慢話になっていることだろう。しかも、それが自分の英語でとなると、益々もって自慢げになるのだ。そうなると、聞いている方は馬鹿らしくなってきてしまい、反発すらするだろう。 以前、ある国に一緒に行った日本の財界人が講演をしたなかで「貴国が日本のようになるには、あと最低30年はかかるでしょう。」と発言したが、どうしてそう発言したのか?彼は相手の国が、日本がたどったと同じ道をたどると考えているとすれば、まったく現在の世界の生産システムがわかっていないということだ。第一そのような発言をすることが相手に対して、失礼だということが分からないのだろうか?

いま世界中がお互いに組立工場と化しているのだ。日本でさえも、外国で作られた部品を仕入れて、組み立てているものがあるだろう。日本の企業も外国で生産しているだろう。その場合、日本企業は外国ですべての部品を造っているのではない。 つまり、いまの時代はお互いに組立作業を分担しあっているのだ。そうである以上、日本の財界人が外国で講演するとすれば、いかにして他の国よりも、組み立て工程を優位にしていくか、どうしたらより性能のいい高品質のものに組み立てていけるのか、についてアドバイスするのが、相手を考えた講演であろう。

外交の基本は相手を尊重し、相手をたたえ、励ますことに始まるものだと私は考えている。その言葉と意思がこちら側にあり、相手に伝わったとき、初めて相手はこちらのアドバイスを聞くし、こちらの要求を受け入れるのだ。 日本とアラブの会議に、外務省がどれだけ莫大な予算を割いたかしらないが、それに比べ小池百合子議員のエジプトで挙げた成果は、何十倍もあるものと思われる。彼女はそうとう疲れていたにもかかわらず、現地のマスコミ各社とのインタビューに答え、テレビに出演し、カイロ大学で講演もしている。

彼女の講演内容やインタビューで答えた内容については知らないが、少なくともエジプト人を見下げたような内容の発言をしているとは思えない。テレビ番組は当初、20分の予定だったものが、1時間半にも及んだということからそれが想像できよう。 私も会議場でテレビのインタビューを受けたが、その際「会議の内容もさることながら、大事なことはこうして日本人とアラブ人が一堂に会して、親しく顔を突き合わせて語り合うことだ。エジプトは観光国でもあることから、外国人は喜んで会議に参加するだろう。」と答えた。