最近のユダヤ人に関する報道を見ていると、どうもユダヤ人同士の間に立場の違いが顕になってきているような気がする。もうだいぶ前に「アメリカである種のホロコーストが起こる」とこの欄で書いたのだが、イスラエル国内にいるユダヤ人と、外国にいるユダヤ人では、置かれている状況が大きく異なるようだ。
イスラエル国内に居住するユダヤ人の間では、アラブとイランという敵に、何時攻撃されるかもしれない、という不安な気持ちが膨らんでいる。しかもその不安は、いままでのように戦争になれば絶対勝てる、という自信が無い状態での不安だ。
この「戦争しても勝てないかもしれない」という不安は、単に戦争による敗北だけではなく、イスラエル国家の滅亡という不安を、イスラエルに居住するユダヤ人たちに抱かせ始めているのではないか。その主たる原因の発端は、レバノンのヘズブラとの戦争による敗北だった。 そしていま、イスラエル国民はシリア・イランが何時戦争を仕掛けてくるかもしれない、という不安のなかにいる。その不安は、イスラエルのユダヤ人の間に、お互いに対する不信感と重なってもいるのだ。
政府や軍の高官の間では不正汚職がはびこり、高官たちが順番に、その嫌疑を問われるという状況が起こっている。これでは戦争をまともに戦えないのではないか、という不安もあるのだろう。 そして、こうしたイスラエル国内と、周辺のアラブ・イランに対する不安に加え、イスラエルのユダヤ人たちは、外国に居住するユダヤ人が、自分たちのことを犠牲にすることによって、彼らだけは救われようとしているのではないか、という不信感と不安感が、芽生え始めているのではないか。
それは、ロシアを皮切りに、ヨーロッパ全土でも、反ユダヤ感情が高まっているからだ。加えて、アメリカ国民の間にも、イラク戦争をあおったのはユダヤ人たちだ、イラク戦争はイスラエルの安全のために行われたのだ、という考えが広まりつつある。 こうした風潮のなかで、在外ユダヤ人たちは、自分たちの身を守ろうとして、イスラエルを悪玉にしよう、とする傾向があるのではないか。最近アメリカの上院委員会が決議した、トルコによるアルメニア人虐殺事件に対する、アメリカ国内ユダヤ人の反応には、それが裏にあるような気がしてならない。
イスラエルからしてみれば、中東地域唯一といっていい、イスラエルと友好的な関係にあるトルコを、この時期に悪玉にする必要が何故あるのだろうか。それはユダヤ人が犠牲となったホロコーストは、トルコでも起こり、その犠牲者はアルメニア人だった、ということを強調することだ。 そのことにより、虐殺事件は実際にあったのだ、虐殺事件は今でも起こりうるのだ、という印象を強めようとしているのではないか。その警告を発することによって、人類が人類に対して行った虐殺を許してはならない、という風潮をアメリカやヨーロッパの中で、再認識させようということではないのか。
しかし、その結果、イスラエルは中東地域の友好国を失い、完全に孤立する危険性が高まるのではないか。シリアとの緊張の中で、イスラエルはトルコに対し、シリアとの仲介を依頼するという挙に出たが、これはトルコによるアルメニア人虐殺事件がアメリカ国内で取りざたされたのと、ほぼ時期を同じくしてはいないか。 ユダヤ人がユダヤ人を裏切る、ユダヤ人がユダヤ人を犠牲にすることによって、自分たちだけは生き残ろうとすることは、最もユダヤ人にとって危険な兆候であろう。イスラエル以外に居住するユダヤ人には、それだけ危険が迫っているということなのかもしれない。
事実がどうであれ、ユダヤ人たちはそう感じているのかもしれない。そうした状況があるとすれば、いまこそ世界中のユダヤ人が一体となり、英知を絞り、正義を選択し、この危機を乗り切るべきではないのか。前面の敵よりも恐ろしいのは仲間の裏切りだ。 これが単なる部外者の私の懸念だけで終われば問題は無いのだが。これが単なる部外者の私の懸念だけで終われば問題は無いのだが。
イスラエル国内に居住するユダヤ人の間では、アラブとイランという敵に、何時攻撃されるかもしれない、という不安な気持ちが膨らんでいる。しかもその不安は、いままでのように戦争になれば絶対勝てる、という自信が無い状態での不安だ。
この「戦争しても勝てないかもしれない」という不安は、単に戦争による敗北だけではなく、イスラエル国家の滅亡という不安を、イスラエルに居住するユダヤ人たちに抱かせ始めているのではないか。その主たる原因の発端は、レバノンのヘズブラとの戦争による敗北だった。 そしていま、イスラエル国民はシリア・イランが何時戦争を仕掛けてくるかもしれない、という不安のなかにいる。その不安は、イスラエルのユダヤ人の間に、お互いに対する不信感と重なってもいるのだ。
政府や軍の高官の間では不正汚職がはびこり、高官たちが順番に、その嫌疑を問われるという状況が起こっている。これでは戦争をまともに戦えないのではないか、という不安もあるのだろう。 そして、こうしたイスラエル国内と、周辺のアラブ・イランに対する不安に加え、イスラエルのユダヤ人たちは、外国に居住するユダヤ人が、自分たちのことを犠牲にすることによって、彼らだけは救われようとしているのではないか、という不信感と不安感が、芽生え始めているのではないか。
それは、ロシアを皮切りに、ヨーロッパ全土でも、反ユダヤ感情が高まっているからだ。加えて、アメリカ国民の間にも、イラク戦争をあおったのはユダヤ人たちだ、イラク戦争はイスラエルの安全のために行われたのだ、という考えが広まりつつある。 こうした風潮のなかで、在外ユダヤ人たちは、自分たちの身を守ろうとして、イスラエルを悪玉にしよう、とする傾向があるのではないか。最近アメリカの上院委員会が決議した、トルコによるアルメニア人虐殺事件に対する、アメリカ国内ユダヤ人の反応には、それが裏にあるような気がしてならない。
イスラエルからしてみれば、中東地域唯一といっていい、イスラエルと友好的な関係にあるトルコを、この時期に悪玉にする必要が何故あるのだろうか。それはユダヤ人が犠牲となったホロコーストは、トルコでも起こり、その犠牲者はアルメニア人だった、ということを強調することだ。 そのことにより、虐殺事件は実際にあったのだ、虐殺事件は今でも起こりうるのだ、という印象を強めようとしているのではないか。その警告を発することによって、人類が人類に対して行った虐殺を許してはならない、という風潮をアメリカやヨーロッパの中で、再認識させようということではないのか。
しかし、その結果、イスラエルは中東地域の友好国を失い、完全に孤立する危険性が高まるのではないか。シリアとの緊張の中で、イスラエルはトルコに対し、シリアとの仲介を依頼するという挙に出たが、これはトルコによるアルメニア人虐殺事件がアメリカ国内で取りざたされたのと、ほぼ時期を同じくしてはいないか。 ユダヤ人がユダヤ人を裏切る、ユダヤ人がユダヤ人を犠牲にすることによって、自分たちだけは生き残ろうとすることは、最もユダヤ人にとって危険な兆候であろう。イスラエル以外に居住するユダヤ人には、それだけ危険が迫っているということなのかもしれない。
事実がどうであれ、ユダヤ人たちはそう感じているのかもしれない。そうした状況があるとすれば、いまこそ世界中のユダヤ人が一体となり、英知を絞り、正義を選択し、この危機を乗り切るべきではないのか。前面の敵よりも恐ろしいのは仲間の裏切りだ。 これが単なる部外者の私の懸念だけで終われば問題は無いのだが。これが単なる部外者の私の懸念だけで終われば問題は無いのだが。