安全のための壁という愚考

2007年9月29日

 イスラエルはパレスチナ・テロリストが、ヨルダン川西岸地区から侵攻してくることを阻止するために、建設し始めた安全のための壁は、すでに長大なものとなり、万里の長城を思わせる感がある。

 しかし、ミサイル攻撃をされたのでは、この安全の壁は何の役にも立たない。安全の壁を簡単に飛び越え、イスラエル側の町や村に落下してくるのだ。そのために、イスラエルが安全の壁といって建設しているのは、安全のためというよりは、将来のイスラエルとパレスチナの国境を、決定付けるためのものであろうといわれている。

 イスラエルの場合は、世界中のユダヤ人からこの安全の壁建設に寄付が寄せられることから、国家としてはあまり負担になっていないかもしれない。しかし、誰が見ても馬鹿らしい、としか言いようの無いものではないか。パレスチナ側が破壊しようと思えば、破壊できないことはあるまい。

 実は、このどう見ても賢い方法とは思えない安全のための壁建設が、イスラエルの後、サウジアラビアによっても進められることが決まった。イラクとの国境地帯、数千キロではないかと思われるが、イラクからのテロリストの侵入を阻止するために、サウジアラビア政府はこの壁を建設するということだ。その建設費用は、膨大な金額に上るものと思われる。

 ここにきて、トルコでもイラク北部のクルド地区との間に、安全のための壁を造ろう、という話が持ち上がってきている。トルコ軍の兵士に犠牲が出ることを嫌った、トルコ軍の希望のようだ。その全長は500キロにもおよび、最初のパートはコンクリート製、第二のパートは電子安全壁ということのようだ。

 しかし、イスラエルの場合も、サウジアラビアの場合も、トルコの場合も、あまり安全を確保するのには役立たないと思われる。壁の破壊も可能であろうし、既に述べたようにミサイルならば、その壁の上を飛び越えてしまうからだ。

 安全の壁建設は、実は安全そのものに目的があるのではなくて、この建設工事に携わる人たちの、利益に主たる目的があるのではないかと思えてならない。安全の壁は人種間に対立感情をより強めることはあっても、安全の確保につながらないというのが私の考えだが、いかがなものであろうか。その膨大な建設費用を、もう少し対立緩和に活かすことができないものだろうか。