オリーブの枝と戦争のラッパ

2007年9月17日

 中東の政治動向に関心を払い始めてから、既に40年にもなる。自分でもそれを考えるとき、自分が結構な年齢に達しているのだ、と実感せざるを得ない。新聞社なら、もうベテラン記者で、他の若手の記者が書いた原稿に、コメントしてやる、学者なら、そろそろ自分がその分野で、大物であることを証明するための出版に、残りのエネルギーを投入する年齢であろうか。

 しかし、私の場合そのいずれでもない。いま一番望んでいるのは、砂上の楼閣のような、中東に和平を実現する夢を見ている。常識的に考えたり、運命論的に考えたり、陰謀説を採れば、中東に和平などありえないことなのだが、そうは信じたくない。

 過去15年ほど、そうした混迷の中東の中の、トルコという国に関心を払ってきた。最初の頃、世俗主義が徹底していたトルコでは、イスラム教の数珠を他の人に見えるように持って歩くのはまずい、とトルコ人から注意されたことがある。7-8年前にはアメリカのトルコ人青年の会議で講演し「オスマン帝国の歴史を学べ」と言ったところ「それは政府が禁止していて不可能です】という返事が返ってきた。  しかし、今は状況がまるで変わった。数珠を持ち歩くことも、オスマン帝国の歴史資料を読むことも、可能になったのだ。そのことに加え、トルコがアラブ世界から、次第に受け入れられるようになってきているのだ。

 以前に書いたが、トルコは混迷の度を深める中東にあって、唯一の和平への糸口なのかもしれない。イスラエルとシリアとの軍事緊張の中では、イスラエルもシリアもトルコに対し、仲介の依頼をしている。  結果はどうなるかわからないが、トルコの新大統領ギュル氏は、中東の諸問題の解決に動く意志を、明確に打ち出している。もちろん、クルド問題も平和裏に解決したい、と望んでいるようだ。

 フランスのベルナルド外相は、イランが核問題で対応を変えないなら、戦争も仕方ない、といった趣旨の発言をし、ブッシュ大統領も同様の発言をしている。イスラエルとシリアとのあいだでも、戦争は望まないとしながらも、双方の相手側からの、攻撃を懸念する風潮が強くなってきている。  中東世界は今、まさに戦争と平和の狭間にあるのかもしれない。ちょっとした勢いが、そのいずれの側にでも中東を向かわせる、デリケートな段階にあると思えてならないのだ。

 そうしたなかでは、トルコの新生大統領と政府に期待したい。平和を100辺叫べば、少なくとも戦争の可能性は後退する。戦争を100辺叫べば、戦争の可能性は高まる。人間は恐怖に対して弱いのだから。