タジキスタンのJ・ルーミー会議参加報告

2007年9月13日

 さる9月7日から9日にかけて、中央アジアのタジキスタンで、国際会議が開催された。この会議には35カ国から代表が参加した。参加者のほとんどは各国を代表する、イスラーム学者、大学の学長などだった。
 この会議のテーマは、イスラームの詩人でありイスラーム学者である、ジャラールデーン・ルーミーに関するものだった。彼は「愛と平和」を説いたことから、国連も高く評価し、ユネスコは今年をルーミー・イヤーに指定した。

 このため、世界中で同様の会議が開催されたのだが、タジキスタンがジャラールッデーン・ルーミーの出身地であることから、同国での会議には特別な意味があったとものと思われる。
しかし、彼はイスラーム神秘主義者であったことから、ほとんどのスンニー派アラブ諸国は参加せず、エジプトからカイロ大学で東洋研究をしている、教授が一人参加しただけだった。
さて、そのタジキスタンの政治状況はどうなっているのであろうか。タジキスタンのマフモノフ大統領は、これまで国内各派の間で起こった内戦を生き残ってきた、政治手腕のある人物である。従って、彼が結成することに成功した政府は、各派の代表を取り込んだものであり、国内的に安定を保つことができてきた。
しかし、最近はラフモノフ大統領が国内権力を掌握できたことから、他の派閥を政府の構造から追放することを進め、自分の部族や親族で内閣や国内権力を固めている。したがって、そのことは今後、タジキスタン国内で他の勢力がラフモノフ大統領打倒の行動を、起こす危険性があるということだ。
国内にはアフガニスタンの各派や、周辺のウズベキスタン、キルギスタンなどからも、反体制勢力が入り込んでいる。彼らもまた、タジキスタンの国内安定にとって危険な要素だ。
もうひとつのタジキスタンが抱える危険な要素は、ソビエトにとってタジキスタンが、戦略的に重要な地域位置していることから、ソビエトがロシアに変わった今日も、タジキスタンの戦略的な重要性は低下していない。
これまで、そのことがタジキスタン国民に、ソビエト(ロシア)への依存を強め、自助努力をするという精神を全く育ててこなかったようだ。
現在のタジキスタン政府とラフマノフ大統領は、ロシア離れ、欧米や中国への接近を進めているが、このことは将来的に、ロシアとの間で対立を生むことになろう。
タジキスタン政府は、ロシアが重要だと思っているタジキスタンの、中国、インドなどの国境線に、今まで軍隊を貼り付けていたが、ラフマノフ大統領はこれを退けることを決定し、国境からすべてのロシア軍を撤収させている。
しかし、ロシア側は国境線からは自国軍を撤収したものの、タジキスタン国内にはいまだに、5000人程度(?)の規模の軍隊を駐留させているということだ。タジキスタンでロシアの利益が大きく損なわれるような状況が発生した場合に、これらのロシアの軍隊が、全く行動を起こさないという保証はあるまい。
タジキスタンはアフガニスタンやパキスタンからの、麻薬の移送拠点になっており、それらがトルクメニスタンやカザフスタンを経由し、ロシアに運び込まれ、ヨーロッパ諸国と世界の麻薬市場に流れていることを考えると、タジキスタンの考えるロシア離れの安全弁としての欧米と中国への接近は、必ずしもも歓迎されるものではあるまい。
つまり、タジキスタンは現在、ロシアとの緊張関係が起こる可能性と、国内の反政府勢力の動きが危険な要素として考えられるということだ。

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会議場前の風景

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イブンシーナーの本のカバー

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ルーミーのダンス

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ソ連時代に隠されていたイスラーム関連文献